一本のネクタイ

 そのサラリーマンは、毎月、月給が出たころにやってきて、ネクタイを1本だけ買った。
 その1本のネクタイを選ぶのに、じっくりと時間をかけてさがしたので、たいていの社員は面倒くさくなって、相手をしたがらなくなった。それで砂糖部長にお鉢がまわってきた。砂糖部長がいちばん下っ端だったから、もうだれかにお鉢をまわすことはできなかった。
 砂糖部長は、丹念にサラリーマンの好みをきいて、納得のいくまでつき合った。ケースの上は出したネクタイが山のようになって、それでようやく1本のネクタイがきまるのだった。
 サラリーマンは、丸の内に本店のある証券会社の社員だった。当時のフジヤ・マツムラは、ゼロがひとつ多いといわれるくらい高価な商品を扱っており、山口瞳先生をして、靴下ぐらいしか買えるものがない、といわしめた店だ。平社員にとって、1本のネクタイへの投資が、どれだけ大変だったか想像に難くない。
 平社員は、なぜわざわざ高いネクタイを締めたのか。理由はいろいろ考えられるが、ご本人の口からおききしたのでなければ意味がない。しかし、ネクタイは、このとき、青雲の志ではなかったか。こういう店で買い物がしたいとおもうのと、出世したいとおもうのは、同義語である。平社員は、いずれこの店でなんでも買えるようになりたい、と願いながら、いまの自分がなんとか買える1本のネクタイを、そのときは選んでいたのだろう。
 サラリーマンは、ぐんぐん出世した。だれもが目を見張るような出世ぶりだった。係長になり、課長になり、部長になり、重役をへて社長に躍り出た。本来、ありえない出世だった。そうして、偉くなっても、ときどき、砂糖部長のもとを訪れた(部長も、こじんまりと出世していた)。展示会で成績のふるわない砂糖部長が、電話で泣きを入れると、かならずやってきて買い物をしてくれた(売り上げがわるくてしょんぼりしていた砂糖部長が、来店されたとたん肩をそびやかして、胸を張って会場に案内するのをぼくは何度も見た)。もう、ネクタイだけではなくて、あらゆるものが買えるようになったのだから。
 N証券の天皇、と称されたN氏をぼくがはじめて見たのは、入社してすぐのときだった。痩せて背が高く、気難しそうで、恐い感じさえした。しかし、実際は穏やかで、ごいっしょの奥様の買い物を、椅子にかけてじっと眺めていた。N氏は、傲慢で豪腕と噂されていたようだが、そんな夫を奥様は「おとうちゃん」と呼んだ。「なんだい? おかあちゃん」とN氏はこたえた。
「おとうちゃん、これ買っていい?」
「ああ、いいよ、おかあちゃん
 一人のサラリーマンが、はたして出世するかどうかなんてことは、だれにもわからない。しかし、夫人がふりかえって「おとうちゃん」と呼びかけたとき、ぼくには、ガラスケースにしがみついて、1本のネクタイを一所懸命選ぼうとしている若いサラリーマンの姿が、ふっと目に浮かんだのだった。