ゴムの木 5

1970年代半ば、商船三井は海外からセブンシーズ号を購入しました(セブンシーズ号は、のちににっぽん丸(2代目)と名を改めます)。
 営業部は、この船での外洋クルーズを企画しました。まだ、豪華客船で長期の船旅というのに日本人は慣れていない頃のことで、営業部は苦戦しているようでした。朝の会議を早々にすませて鞄を引っ掴むと、営業部員たちは街へ飛び出していきました。そして、夜、暗くなってから、足を引きずり引きずり戻ってくるのでした。
 この船で、東京から神戸まで往復する社員研修が行われ、フェリー部からもウーが参加することになりました。ウーが選ばれたのは、独身だったからです。ブーとフーは、旦那の晩ご飯の支度があるから、とかなんとかいって逃げたのでした。
 ウーは、帰ってくると、ぼくに研修旅行のプリントを見せてくれました。航海中、船のなかで、講演会や勉強会があったようです。
「わたしさあ、もう勉強なんて苦手でしょ。机に向かって講義聴いたりすると、頭が痛くなっちゃうのよ。それより、毎晩、サロンでパーティーがあるんだけど、そっちのほうはとっても楽しかったわ」
 営業部からは、新入社員の岩崎宏美さん(仮名。デビューしたての歌手にそっくりでした)が参加していました。参加者には体験レポートが課されていましたが、岩崎さんのレポートは素晴らしいもので、ふだん割と辛辣な営業部のお偉方たちが、こぞってほめちぎりました(レポートの表紙の余白に、観察も詳しく分析も鋭い、とか、表現がゆたか、視点がユニークといった賛辞が書き込まれていました。矢吹部長も、文章がよい、内容が深い、と書きました。部長は文章には特にうるさい人です。ウーの表紙には、ご苦労さん、とだけ書いてありました)。
 大松常務もこの社員研修に参加しました。ただし、透析があるので、途中の寄港地まででした。
「ウーちゃん」と声をかけて、大松さんは女性のあいだにすわりました。「ぼくの講演、憶えているかね?」
 ウーは、にやにやしています。
「もう忘れちゃったのか?」
「えーと、常務は、なにか格言みたいなことを話されましたけど」
「忘れたら、格言も役に立たんな」
 えーと、えーと、といってウーは首をかしげています。
「橘樹亭亭」
 ぼくが助け舟を出しました。
 大松さんは、ほう、という表情をしました。
「ウーちゃん、ぼくはもうひとつ挙げたんだが、そっちはどうかな」
「うふふ、すっきりさっぱり、忘れちゃいました」
 大松さんは、いたずらっぽい眼でぼくを見ました。
「波間道なし、道縦横」
「ウーちゃん、きみは研修に参加したんだよ。参加しない彼が講演の内容を知っててどうする。これから会社を担う社員に、仕事に対する姿勢と意識を喚起するためにぼくは船に乗ったんだ。つまり、きみはあの船に乗っていなくて、彼が乗っていたということになるじゃないか」
(つづく)