ゴムの木 8

 その年の正月に、小山は岡野と二人で、武蔵小杉駅前の喫茶店レイロー(漢字で書けば、玲瓏なのでしょうね、きっと)にぼくを呼び出しました(註、小山と岡野については、2007-04-08「市川さんの話 6 (でもほぼ余談)」参照)。この日のことを、ぼくはずっと「友情ある説得」とひそかに呼んでいます。
 前年に岡野は、一浪のあと国立東京N工大に入学しました。入学すると、すぐに馬術部に入って、もっぱら馬の世話をしていました。同級生の女学生がたまたま馬術部にいて、いっしょに世話をするうちに、いつしか恋におちたようでした。
「馬というのは、あたりまえだが馬くさいんだ。毎日世話してると、そのにおいが身体にしみついて、自分も馬くさくなってくる。すると、なついてたとおもってた馬が、もっとなついてくるんだ。かわいいぞ。彼女もいっしょだ」
 ニヤニヤしながらきいていた小山が、まぜっかえします。
「おまえの彼女は馬くさいのかよ。それで、顔も馬面なのか?」
 中学時代からずっといっしょだった二人は、平気でいいたいことをいいます。
「それをいうなら、細面といってほしいね。美人で、東大教授の娘だ」
「おまえも俗物だな。娘とおやじは関係ないだろ」
 現役でK大に入学した小山は、東大を有り難がる気持などはないようでした。
 ぼくは、その年もまだ受験生で、自由な大学生活を送っている二人がまぶしくて、黙ってコーヒーを飲みながらきいていました。
「ところで、タカシマ、今年はどうするんだ? 」
 岡野がききました。本当は、二人はこの話をするためにぼくを呼び出したのです。
「もう、いいかげんで、手を打てよ。無駄だよ、受験勉強なんて。すべり止めでもなんでも、早いとこ入っちゃえよ」
 小山が乱暴にいいました。
「そういうなよ、タカシマにも考えがあるんだろうから、きいてやれよ」
 岡野がとりなす口調でいって、ぼくをうながすように見ました。
 ぼくは、なんだか疲れがどっと出たような気がしました。会えばきかれるとわかっていたはずのことですが、説明をするのがとてもおっくうだったのです。
 もちろん、ぼくは、今年はすべり止めにK大も受けるつもりでした。しかし、すべり止めといって小山のいる大学をあげるのは、なんとなくはばかられました。それでは侮辱することになりはしまいか、とおもったとき、小山が強い口調でいいました。
「タカシマ、おまえ、K大も受けとけよ、すべり止めに」
(つづく)