ゴムの木 7

「きみは、ぼくが来る前にも、正社員になるようにすすめられたことがあったそうだが、どうして断ったのかな?」
 大松さんが、ぼくの隣りの席に腰をおろして、口をひらきました。
「気がすすみませんでした」
 ぼくは正直にいいました。
「気がすすまないから、うちの会社を振ったのか。うちはちょっとは名の通った会社だとおもっていたが、それでは不満か?」
「いえ、そういうわけでは。ぼくはまだ、学生ですから」
「しかし、きみは、大学へ通わずに、その後もこうしてアルバイトを続けているではないか。だったら社員でも同じことだ。矛盾してないかな」
 大松さんは、ぼくの痛いところを突いてきました。おっしゃることはもっともです。仕方なく、ぼくは本当のことを話してみることにしました。このことは、だれにもいったことがありませんでした。
 ぼくは、高校を卒業したあと、2年浪人しました。その間に、稚拙な人生観であるにしろ、ぼくの人生観が変わってしまいました。大学に残って研究者になりたいと切望して、志望校をめざして浪人していた筈のぼくが、いつの間にか、物書きになりたいとおもいはじめていたのです。
 ぼくは、大学に入ってからは、もうあまり学問に興味が持てなくなっていました。ぼくを見つけるなら、学食か、図書館か、英語劇研究部の部室へ行け、といわれるようになりました。あいつは、講義にはぜんぜん顔を出さないから、教室では絶対会えないよ。
 ぼくの高校時代の同級生が、英語劇研究部(ESS=エッサッサ)に所属していました。優秀な男で、高1、高2のときは、学年で1番の成績でした。ぼくが勉強する上での目標で、ライバルの一人でした。彼をマークして、追走していけば、きっと希望の大学に滑り込めると信じていました。ところが、彼は、受験競争から突然降りてしまったのです。目の前を走っていた目標が、急に消えてしまいました。ぼくは、いまでも、あのとき彼が完走してくれていたら、とおもいます。たとえ浪人したとしても、彼を追って希望の大学に行けたのに。
 すべり止めでぼくが入学した大学に、彼はいました。3年生になっていました。英語劇研究部で、舞台監督をつとめていました。ぼくは、部員でもないのにエッサッサの部室に出入りし、講義のない時間を部室ですごす部員たちと、毎日、駄べって時間をつぶしました。
「おい」
 ある日、友人は、いつものように駄べっていたぼくに、背後から声をかけてきました。鋭い語気でした。
「ちょっと話があるから、顔貸せ」
(つづく)