ゴムの木 10

ぼくがどうかしてしまったとしたら、それは大学に入学する前の話でした。北杜夫が父斉藤茂吉に「宗吉はなんたることか、馬鹿になってしまった」(そうきちは、北杜夫の本名)と手紙で嘆かせたように、前年秋の高校の文化祭に顔を出したとき、担任だった小嶋さんに「小説家になろうとおもいます」と突然口走って、阿呆になったか、と大いに嘆かせたことがありました。阿呆のような真似はするな、というのが小嶋さんの日頃からの口癖でした。
「文学なら、教師になっても、学者になってもできるじゃないか」
 ぼくの言葉に、一瞬うっと身をそらせた小嶋さんが、いいました。もともとぼくは、国文学志望で、教師になるか、学者になるか、出版社に入って辞書の編纂でも手伝うかくらいしか考えていませんでした。できることなら大学の研究室に残って、こつこつと(当時の言葉でいえば、シコシコと)なにか研究していけたらいいな、とおもっていました。小嶋さんもそう考えていたようです(浪人しなければ、ぼくはどこかの大学の国文科を出て、結局、多くの先生にすすめられたように、母校の高校で教えていたかもしれません)。
「おまえ、小嶋さんに、小説家になりたいっていったんだってな」
 タバコの煙を吐き出しながら、小山がいいました。「どうやって食っていく気なんだ? 就職は、ちゃんとするんか?」
 ぼくは、コップの水を口に含みました。なまぬるく、ねっとりとしていました。
「よくわからない。でも、生活のことは考えなくちゃあね。いつまでも親が食べさせてくれるわけではないから」
「当然だろ。ほんとは、どんなふうに考えてんだよ」
「だから、わからないんだよ。わからないけど、もう、自分のことを作家だと規定してしまったんだ」
「書いてもいなくて、作品もないのにかよ」
「そう。おまけに、書きたいことも、いまはないんだ」
「ふつう、書きたいことがあって作家になるんじゃないのか?」
「いまはない」
「ずーっとないんじゃないの? そうしたらどうする? 私小説作家のように、わざと小説のネタになるような生活するんか?」
「そんなこと、しないさ。ふつうにしていて、熟すのを待つの」
「熟すっていったって、おれはおまえが腐っていくのを心配してるんだよ」
「ぼくは腐らないよ。熟すのは、ぼくというフィルターを透してぼくが記憶したなにかさ」
「いってることが、ぜんぜんわからない」
「いってるぼくのほうもよくわからないんだから、無理ないけど」
(つづく)