ゴムの木 12

「それから、どうしたんだね?」
 大松さんが、キャラメルを頬張りながら、ききました。オーソンウエルズのような、いたずらっぽい眼が笑っています。
「それから、ぼくは街を歩くようになりました」
「街を、どうしたって?」
「街を歩いたんです。ええ、毎日、歩きまわりました」
「ほう、なぜ?」
「よく、おぼえていないんです。気がついたら歩きまわっていました」
「大学のほうは?」
「籍だけはありましたけど、足が向かなくなりました」
「足が向かないか、贅沢な話だな。その友だちはどうしたのかな?」
「いつの間にか疎遠になりました。友情ある説得は、二度めはありませんでした」
「はっは、見限られたわけか?」
「そうかもしれません」
大松さんは、キャラメルの包み紙をむくと、もうひとつ口に放りこみました。
「歩きまわって、なにが見えた?」
「そうですね、毎日、行った先の古本屋をまんべんなくのぞきましたから、一時は東京中の古本屋の、どの棚になにがあるかを全部記憶していました」
「それがどういう意味があるのかね?」
「意味なんかありません。ただ、知っているというだけです。もし、だれかが、この本さがしているんだけど、どこに行ったら手に入るかな、ときいてくれたら、ああ、それなら、あの店の右の棚の3段目の左隅にあるよ、とか教えてあげられるんですが、もちろん、だれもたずねてくれません」
「無駄なことをしていたわけか」
「いいえ、それが、だんだん、意味をおびてきたんです。古本屋の本は、当たり前ですが、売れちゃうんですね。やがて、あった場所になくなってしまうんです。ですから、たえず見に行って、確認しなくてはならなくなったんです」
「忙しいな」
「ほんとに忙しかったです。せっかくの記憶が、1冊売れても意味を失うんです。それで、意味を失わせないために、ぼくの頭のなかの在庫表を無にしないために、出かけていきました」
「なんだか、かなしい遊びじゃないか」
 オーソンウエルズのような眼が、ぼくを通り越して、無限の彼方を見つめているように見えました。
(つづく)