ネクタイ 2

 山口瞳先生は、幅の細いネクタイがお好きだった。だから、磯村尚徳アナウンサーに代表される、衿の幅の広いスーツが一世を風靡したときには、相当に困惑されていた。スーツの衿幅に合わせて、ネクタイが金太郎の腹掛けほどに広くなったからである。
 流行というのはおかしなもので、流行りはじめはだれでも多少は抵抗する。だれが金太郎の腹掛けなんかしてやるものか。ところが、自分もいつの間にかそれに目が慣れてしまい、なんだか今度はそれでなくては違和感を感じるようになってくる。やがて、ふと我に返って、どうして自分はこんな不可解な腹掛けのようなネクタイを締めていたのだろう、と深く反省するころには、流行はいつの間にか細めのネクタイに移り変わっているのである。
 しかし、山口瞳先生は、断固違っておられた。幅広の衿のスーツなんか金輪際仕立てないから、ネクタイだって太い必要はない。これは、だれもいわないし、ご本人もおっしゃったことがないが、山口先生は、もしかして、フランク・シナトラのおしゃれを志していたのではあるまいか。そうおもって見ると、ぴったりと身にそった上着、やや短めの裾すぼまりのパンツ、黒のソフト、白いシャツ、細いネクタイ、どれをとってもシナトラである。いや、やはりこれは、偶然でしょうね。
 シナトラの山口先生、じゃない、シナトラのように細いネクタイを締めた山口先生にとっては、その時期、きっと頭が痛かったに違いない。なにしろ、街じゅうから細いネクタイが消えてしまったのだから。
 しかし(もう1度、しかし)、銀座にはフジヤ・マツムラがあった。山口先生は、「ネクタイ、ネクタイ、細いネクタイ」といって、おしっこを我慢しているときのように小刻みに足踏みしながら、ネクタイの置いてあるコーナーへとんでこられた。
「ありました。ありましたよ。うれしいねえ、あるところにはあるんだねえ、細いネクタイ。うれしいから、1本でいいところを、2本買いましょう、とくるね」
 コーナーの隅に、細いネクタイばかりがケースに収まって並んでいた。さほど多くはないが、色柄を問わなければ、まあまあの品数になった。
 幅広のネクタイの時代は、何年くらい続いただろう。細いネクタイは、やはり時節がら入荷しないので(仕入れても売れそうもないものは、仕入れるわけがない)、だんだん数が減ってきた。細いネクタイのファンは、もちろん、山口先生以外にもいるのである。
 山口先生は、別の品物を買いにこられて、細いネクタイが残り少ないのに気がつかれた。
「いま、これを逃すと、一生細いネクタイに巡り会えない気がする」
 かくして、流行遅れの売れ残りの細いネクタイは、ついに完売してしまったのであった。めでたし。