ネクタイ 3

 一枚の繪の竹田厳道氏は、イタリー製のミラショーンのネクタイがお好きだった。ミラショーンには2種類あったが、竹田氏のお好きなのは、もちろん高級なダブルフェースのほうだった。
 ダブルフェースというのは、ご存じのように、独特の縫製で2枚の生地を1枚に仕上げたもので、裏表の区別がない生地のことである(1度だけミラショーンのネクタイが剥がれたところを見たことがあるが、2枚の生地の内側が、特殊なミシンでこまかく貼り付くように縫い合わされていた。裏と裏が貼り合わされるので、当然、表面はどちらも表生地というわけである)。
 ある日、葬式のネクタイ、といいながら竹田氏が入ってこられた。
「黒のネクタイが至急必要になってね」
「しゃっさん」
 砂糖部長が、耳のうしろをかきながら、声をかけた。砂糖部長は、入れ歯がうまく噛み合わないから、社長さん、といっているのに、しゃっさん、になってしまう。
「でしたら、お好きなミラショーンがいいですよ」
「ミラショーンがいいっていっても、黒がないじゃないか」
「いや、柄のほうを表にして並べてあるのでわかりませんが、ほら、珍しく裏が黒の無地のが入荷しました」
「ほう。両面使えるといって、いつもだまされて買っているが、きみ、たいてい片面しか使えないぞ」
「しゃっさん、それが、これは裏が黒でしょ。喪に使えますよ。しかも両面で、皆さん葬式の行きと帰りにネクタイを柄物に締め替えたりしますが、これなら1本で兼用できるってもんです」
「なるほど、黒のネクタイをはずしてポケットにしまっておくのは、案外かさばるからね。帰りは柄のほうを表にして帰ってくればいいのか」
 竹田氏は、じゃあ、また、といって、手をふって帰られた。
 次に竹田氏が来店されると、砂糖部長がうれしそうにたずねた。
「しゃっさん、こないだのお葬式、いかがでしたか。ミラショーン、お役に立ったでしょ?」
「ああ、そうそう。きみい、あれにはぼくも困ったよ」
「へっ?」
 砂糖部長が怪訝な顔をした。
「表は黒でいいんだけれど、挨拶するたびに裏の赤い縞が嬉しそうにちらちら飛び出してきて、きみい、人が見たら、哀しんでるんだか喜んでるんだかわからないじゃないか」