一枚の繪の竹田厳道氏が、椅子に腰をおろして脚を組まれた。真新しい靴が眼に入った。その靴は、柔らかそうな革で、赤ちゃんに履かせる靴のような形をしていた。
「新しいお靴ですね」
 竹田氏は、うん、といって自分の靴を眺めてから、
「医者がね、竹田さん、足もとが危なそうだからこれにしなさい、っていったんだよ。なるほど、普通の革靴よりも歩きやすい。軽くて滑らないしね。ぼくは、医者のいうことは、案外きくの。おたくで売ってる靴を買う値段で3足買えるから、足にも財布にも具合がいいよ」
 そういえば、以前、うちでおもとめの靴に履き替えて店を出られたとき、レンガの舗道のやや坂になったところでちょっと滑って、あわや転倒という場面があった。おもわず息を飲んだが、いっしょに見ていた綿貫君は、
「外国の靴屋では、靴を買うと、底の革の地面に着く部分に、ガラスの尖ったやつで傷をつけてくれるんですよね、筋のような。新しい靴は滑ってツルツルするから、転んじゃう人がいて、頭打ったりしたら大変なことになるじゃないですか」
 と、あとでのんびりした口調で説明した。竹田氏は、トトトといった感じで持ちこたえると、態勢を立て直し、軽く手をあげて通りすがりの車を止め、何事もなかったように通りを向こう側に渡っていかれた。
 ぼくは、竹田氏の靴をしげしげと眺めた。すると、竹田氏は、靴を脱いでみせた。なかにアシックスと書いてあった。
 さっそく、ぼくは靴屋に行った。アシックスなら、スニーカーではないか。ビジネスシューズの顔をしたスニーカーということか。その靴は、ペダラという名前だった。裸足で湿った砂を踏む、という言い方があるが、まさにそんな感触だった。ちょうど、1足、へたっていたときだったから、すぐにそれを購入した。
 次に竹田氏が来店されたとき、ぼくはその靴を履いていた。竹田氏はぼくの足もとに気づいて、おっ、という顔をされたが、なにもおっしゃらなかった。
 銀座に転勤になった矢村海彦君は、店の前を通りがかってぼくがいると、かならず声をかけてくれた。ぼくは通りまで出てゆき、彼と二言三言、言葉をかわした。
 その矢村君がぼくの足もとに気づいて、ゆっくりとぼくの顔を見た。
「タカシマさん、その靴、まだ2、30年早いんじゃないの」