コート

 日本橋浜町の平貝印刷社長の平貝氏は、渋い、素敵な男性だった。恰幅があって、品がよくて、なにより男らしかった。奥様も、平貝氏にお似合いの美人だった。ぼくはお会いしたことがないが、ご子息がまた背の高い美男子だということで、女子社員のあこがれの的になっていた。まあ、あのご両親の子どもなら、不思議はない。
 その平貝氏が、夫人とコートを探しにみえた。寒い国に旅行されるという。その寒い国は、高級なものがない国なので、現地で調達する愉しみがないんだよ、とおっしゃった。
 ちょうど、裏にミンクを張ったアクアスキュータムのコートがあった。表は、なんの変哲もない、普通の綿のラグランコートである。リバーシブルで、裏返せばミンクのコートになる。なんともゴージャスである。ただし、毛皮を張った分、少々重かった。
 平貝氏が袖を通してみると、誂えたようにピッタリだった。
「困ったな」
 と、平貝氏は、夫人にいった。
「こんなにピッタリだと、買わないわけにはいかなくなる」
 奥様は、あら、という表情をされた。
「いいじゃありませんか、よくお似合いよ。わたしもミンクのロングコートで行きますから、そうしたらお揃いね」
「まさか、男がミンクの毛皮のほうを出して着るわけにはいかないだろう」
 それでは、といって、あわてて鎌崎店長がコートを裏返した。そして、いそいで平貝氏に袖を通させた。毛皮を着た平貝氏は、ロシアの要人のように見えた。店長もそうおもったのか、すぐ口にした。
「お似合いですね、アンドロポフみたいですよ」
 鏡を見ていた平貝氏が、即座に切り返した。下町っ子の面目躍如だった。
「アンドロポフだかアンコロモチだか知らないが」