彫刻 6

 阪神淡路大震災のとき、神戸の魚崎にアトリエを移したばかりのI先生は、家が倒壊して閉じ込められてしまった。天井と床のあいだにできた狭い空間を、はいずって出口にむかったが、太い柱や梁がじゃまをして出られなかった。
 どうしよう、とおもったとたんに、火事のことが頭をよぎった。もし、近隣に火の手があがったら、おそからずこの家にも燃えつくだろう。生きたまま、苦しみながら火に焼かれる自分の姿が眼に浮かんだ。I先生は、急に怖くなって、あわてて室内を見まわした。暗くて、よく見えなかった。
 そのとき、突然、彫刻用の丸太を裁断するチェーンソーがあったことを、I先生は思い出した。うっかりチェーンソーをアトリエから持ってきてしまい、あとでもどしておこうとおもいながら、つい忘れたままベッドの下に放りこんであった。
 I先生は、ベッドの下から取り出したチェーンソーのスターターの紐をおもいきり引っぱった。一発でかかった。そして、不自由な態勢で粘り強く、出口をふさいだ何本もの梁を切り拓いて、ようやくのことで脱出できたという。
「神戸での生活が落ちついてきたので、ちょうど、東京から焼物のコレクションを運び込んだばかりのところでした」
 眼鏡の奥の眼は笑わないまま、口もとに笑みを浮かべてI先生はいった。
河井寛次郎濱田庄司、それから北大路魯山人などをけっこう持っていたのですが、みんな駄目でした。家がつぶれたのだから、無理ありませんが」
「でも、ご無事でよろしかったですね」
「つくづく、木彫でよかったとおもいました。ブロンズだったら、チェーンソーなんか持ってなかったでしょうね、きっと」