銀座百点 9
「銀座百点」No.1(復刻版)の目次には、「表紙・佐野繁次郎 カット・島田しづ子」とある。
これが「銀座百点」No.500(創刊500号)では、「表紙・脇田和 カット・島田しづ レタリング・原理」となっている。
ぼくは、べつにレタリングの担当者が加わったことを指摘しているわけではない。そうではなくて、わざわざ並べてみせたのは、500号になってもまだ描き続けているカットの島田画伯の名前が、「しづ子」から「しづ」に変わっていたからである。
ぼくの母は、八重子という名前だった。だから、「母」の名前の欄があると、ぼくは八重子と書き入れていた。それは、小学校に入学以来、ずっと変わらなかった。
ところが、母が60歳を迎え、なにかの公式書類に記入するおりに、役所から名前の間違いが指摘された。戸籍上の正式な名前は、「八重」だというのである(戸籍謄本は目にしていたが、ぜんぜん気づかなかった)。これには、さすがの父も驚いたが、母は平然として、
「おじいさんも、おばあさんも、八重子と呼んでいたから」
といった。
母は大正生まれである。子の付かない名前が、普通というか当たり前の時代に生まれている。ぼくおもうに、大正時代に生まれて、昭和という時代を生きた女性の多くが、自分の名前に勝手に「子」をつけて「古くささ」から逃れようとしたのではあるまいか。そうして、ちょっと「すかして」みせたのではないか。
だから、おそらく島田画伯も大正生まれで、創刊号のカットを描いてから41年経ってみると、かえって「子」のつかない名前のほうが、ご自身のなかで「モダン」になったのかもしれない。
ちなみに、ぼくの本名は、たいていの人が戸惑う「重箱読み」です。