銀座百点 16

「銀座百点」No.500(平成8年7月号)に「思い出の作家たち ベテラン編集者が見た銀座百点」と題する鼎談が載っている。出席者は、川野黎子(新潮社)、大村彦次郎講談社)、豊田健次文藝春秋)。いずれも、自身たちが伝説の編集者である。
「銀座百点」のスタート当時の逸話が語られているので、ちょっと引用してみよう。


本誌「はい。命名は当時の文藝春秋社長の佐佐木茂索さんです。銀座の商店主が集まって、そういう雑誌をつくりたいという希望があったのですが、素人ですので編集ノウハウはわからなかった。そこで当時銀座にあった文藝春秋に相談に伺い、車谷弘さんをご紹介いただき、いろいろ面倒をみていただきました。」
大村「銀座百点が幸運だったのは、創刊当初に文春のベテランの人がかかわりあったことですね。文春の持ってる都会性と保守性がうまく銀座百点でいかされた。」
川野「そうね。これが新潮社だったり.....。」
大村「講談社だったら、こうはいかなかった(笑い)。」
豊田「車谷さんの芝居や俳句のご趣味が、銀座の旦那的要素と合って、雑誌の奥行きを深くしましたね。」


大村「それと久保田万太郎さん、永井龍男さん、池田弥三郎さんなど銀座百点のみこしを担いだ人たちは、明治・大正生まれの旧東京人の市民感覚があって、戦前の銀座を知ってる人たちなんです。私が若いころ銀座百点を愛読したのは、そういう世代の作家たちが、私の知らないレトロな銀座について書いたりしゃべったりしているのが、非常に魅力的だったからです。」
川野「銀座って独特な街で、いまを書くより、昔のことのほうが、書いてるほうも読んでるほうも楽しいんですよね。」
大村「文化とは常に懐かしいと感じる、レトロスペクティブなものがないとダメですよ。」
豊田「初期の銀座百点の柱になった作家の方々は、いまはほとんどお亡くなりになってますが、その方たちが、ある種の語り部として、銀座百点で銀座のよさを語り続けてくれたんですね。」
大村「いまその人たちがいなくなり、時代が変わってきてもやっぱりおもしろい。それは、今度は戦後育ちの人、たとえば和田誠さんや川本三郎さんが自分たちの持っているイメージの銀座を書くと、それがいまの若い読者にとって、射程範囲になるからですよ。」
川野「最近では、和田誠さんの『銀座界隈ドキドキの日々』がおもしろかったですねえ。」
大村「だから時代が移っても、その二、三十年前をまた回顧しようという世代が出てきて、次の世代につなげていく。そういう意味では非常にうまく回転してますよね。」


引用が、なんだかすこしも「ちょっと」ではないけれど、大目にみてください。
(つづく)