銀座百点 17

 今回も「銀座百点」No.500(平成8年7月号)から引用します。


大村「昭和三十三年に永井龍男さんが『銀座俳句』の選者になられましたが、永井さんの貢献度も大きかったと思います。ずいぶん苦労なさってましたよ。私がお伺いすると、『きょうは銀座百点の選句だ』とおっしゃって、几帳面に一つずつ選句してらした。永井さんが選者だからって、投句してくる人は、ずいぶん多かったと思う。だから、ページは後ろのほうだけど、銀座百点におけるあそこの重みは、八番バッターに強い打者が座ってるという感じでした。」
豊田「東門居(永井さんの俳号)が選者をなさってるということで、雑誌のステータスが高まりますね。」
川野「これはほかの雑誌とは違いますね。」
大村「ぼくはそういう欄の担当をやったことがあるのでわかるんですが、普通、俳句欄や読者欄があるおしまいのページというのはいちばん弱いところなんです。こういっちゃなんだけどお荷物(笑い)。ところが、銀座百点のは光ってましたね。永井さんがこれだけ力をいれてやっていることは、俳句やっている連中はみんな知っていましたから。」
豊田「いま、俳句や短歌の選者をだれにするか、なかなか難しい。」
大村「銀座百点が好きだったからなんでしょうが、晩年まで貢献なさってましたね。」


 東門居という俳号は、鎌倉幕府東御門跡近くに住んでいたことに由来する。
 ぼくの本棚に、「永井龍男句集」1巻がある(五月書房・昭和51年4月10日発行)。「限定壱千部のうち本書は第302号」と奥付にみえる。A6判・山羊総革装・特染布貼夫婦函入り愛蔵本シリーズの1冊である。版元は、市価を無視した廉価で現代作家の署名入り特装本を読者の本棚に並べたい、と願ってこのシリーズを刊行したが、おもいに反して古書となったこのシリーズは、法外な値段で古本屋の書棚に並ぶことになった。
 ぼくの好きな一句は、


  そら豆や天気予報は顔馴染み