銀座百点 号外6

井伏鱒二対談集」(新潮文庫・平成八年八月一日発行)から、もうすこし引用します。


永井「僕が『文藝春秋』に入ったのは昭和二年、当時の文藝春秋は、麹町三番町の元有島武郎さんの屋敷ですよ。有島さんの家は五千石ぐらいの旗本の屋敷で立派でした。左右に長屋門があって、門を入るとスーッと砂利が敷いてある。入ってゆくと頼もうというような玄関があるわけですよね。明治、大正になってから、玄関脇に洋間の応接を建て増ししたのだろうと思うけれども、そこに椅子をくれたから、そこに掛けていたら、入社して二、三日でしたが、あっ、芥川さんが来たと思った。そしたらそれは直木三十五だった。あとで聞いてわかった。」
井伏「ああ似ているね。」
(中略)
井伏「直木さんと菊地さんは仲がよかったのだな。」
永井「それは仲がよかった。(中略)『文藝春秋倶楽部』というのが木挽町に出来た......。」
井伏「ああ僕も行った、三階のね。直木さんこんなにして、膝の上で原稿を書いていたな、虫のような、ゴマのような字......早かったな、あの人は。」
(中略)
井伏「(前略)あのころ、菊地さんという人は頼もしかったな。」
永井「残念だけれども、菊地さんのものが今は読まれないんですよね。残念で仕方がないけれども、しょうがないな。」
井伏「あれはおかしいね。」
永井「ああいうふうに明快に書いてあるのはいけないんでしょうね、このごろは。あの人の短篇小説はいいのがありますよ。」
井伏「うまいな。」
(中略)
永井「それがこねくり回さないと、どうもこのごろは悪いのじゃないの。(中略)なんか直接テーマに向かって、すっと入って行くものは受けないで、こねくり回した......。」
(中略)
永井「小理屈を言って、そういうことを言ったら怒られるかな。」
井伏「明快ではいけないのだな。」
(中略)
井伏「(前略)社長室で将棋を指すのだ、菊地さんはね。(中略)僕らの指すのを喜んで見ていてね、菊地さんは、僕が歩なんか打つと、『だめだそんなところへ打って』と。それでいいところへ打つと、『ああ井伏君は、見どころがあるね』、そう言って......。(中略)僕に助言する。あんたがカッとして青筋を立てる。菊地さんは、あんたを怒らして楽しんでいるのだね。ゆとりがあったな、菊地さんは。」
(中略)
永井「これはね、若気の至りで当時何もわからなかったのだけれども、僕が結婚式をやったときにね、あなたも来てくだすったと思うが。」
井伏「菊地さんのテーブル・スピーチを覚えているよ。」
永井「当時なんでもなく聞いていて、このごろです、身にしみてきたのは。月給はちゃんとやる、お前が小説を書くんなら、社をいくら休んでもかまわないと言った。やっと六十を過ぎて、ああ、菊地さんはああいうことを言ってくれたのだという有難さが、やっとわかりましたよ。恥ずかしいことです。」
井伏「それはね、はたの人にも聞かせる意味もあるのだろう。みんなにも納得がいくようにしているところがあった、あの人のスピーチは。」
永井「そんなこと一つも思わないで、楽だからずっと月給をもらって編集してきたが。」
井伏「あのころは楽しかったね。」
永井「ほんとうに楽しかった。生活も楽しかったし、人の物を読んでも感動した。感動のために、正体なく酔っ払ったりするようなこともあったし。」
井伏「雰囲気があったぞ。」