銀座百点 号外8

 井伏鱒二に「永井龍男の『はにかみ』」と題する作家論がある(「井上靖永井龍男集」〈現代日本文学大系86〉筑摩書房、1969年)。ついでだから、これも引用してしまう。


「よほどの虚弱児童であつたらしい。永井君の次兄の二郎さんも云ってゐた。
『龍男(たつ)には、ほんとに手を焼きました。病気ばかりする子ですから、学校に行くのも控へさせてゐたほどです。しかし人並の常識を与へなくつてはいけないので、風邪を引かないやうに冬には大きな襟巻をさして、寄席や芝居によく連れて行つてやりました。まつたく手数のかかる子供でした。ところが、近頃は健康を謳歌してる風で、無鉄砲に飲んでゐるさうぢやありませんか。ちと気をつけるやうに云って頂きたいものですな。』
 二郎さんはさう云って私に註文つけた。
 これは永井君が文藝春秋社に勤めてゐた頃のことで、当時、永井君は若いジャーナリストとしていつぱいに働いてゐた。彼は編輯の名手で、また人に原稿を書かせるにも葉書一枚で間にあはせてゐた。この編輯の経験や当時の生活が、今日の彼の作品の筋立をつくるのに役立つてゐるのは云ふまでまでもない。河上徹太郎は当時の永井君を回想して、私の云ひたいことを次のやうに書いてゐる。
『そして思へば、遊び、或ひは生活が闘ひでもあり修行でもあつたこの時代に、彼の今日の作家としての感受性の形式も内容も貯へたのだ。今日の仕事は、その時代の実に贅沢な貯蔵品の放出なのである。(中略)但し彼が貯蔵したのは、あくまで今日の作家的資本となさんがためではなくて、消費せんがための行為が蓄への所以なのである。だから、これほどもとがかかつてゐながら、常に創造するに苦しい作家である。(中略)永井君のは優れた遊び人の放蕩のむつかしさの如く、浪費するための苦労なのである。全く贅沢な話だ。然し誰が? 彼の愛読者が、である。』」
 
 河上徹太郎の文章は、引き写していて頭が痛くなる。