銀座百点 号外58

 1936年(昭和十一年)、「一月、代田二丁目の家へかえされる。前年の秋、お寺で肋膜炎まがいの病気をしたためである。このころから映画館がよいに熱中、教科書は学校のロッカーへ入れたまま、カバンには三四種の映画雑誌をつめこんで、級友にはもっぱら映画通の知識を誇る。ーーこの年の二月二十六日、二・二六事件が起った。学校は軍隊に占領され、二日ほど休みになり、大いによろこんだ記憶がある。」
 
 1938年(昭和十三年)3月、中学卒業。「松山高校をうけて失敗。市ヶ谷左内町の城北高等講習学校へ裏口入学する。まともに受けると予備校の入学試験は地方の高校よりもむずかしかった。」
 
 1939年(昭和十四年)、「この年に高知高校をうけて入らず、浪人二年。城北で古山高麗雄、倉田博光、それに中学時代からの友人佐藤守雄らとしたしくなる。ーーノモンハン事件起り、はじめて戦争を恐れる気持になる。うかうかしていると浪人のまま兵隊にとられ、戦車にひき殺されないともかぎらない。」
 
 1940年(昭和十五年)、「この年も山形高校等を受けて、また失敗。浪人三年目はもう受験勉強などする気がせず、倉田、佐藤らと毎日、銀座うらのコーヒー店にとぐろを巻き、荷風、潤一郎、等の耽美派の小説家のものを読んで、その生活に憧がれる。ーーこの年の秋、皇紀二千六百年の祭典あり「ゴールデン・バット」「チェリー」等のタバコの名前が「金鵄」「桜」などにかわる。そのため、もっぱら「カメリヤ」を愛用。」


「京都の三高へ行っていた古山までが、しょっちゅう、学校をサボってわれわれ浪人組と、浅草のレビュー小屋だの玉の井だのをうろつく。おかげで古山は翌年、三高をやめることになる。ーーこの間のことは「悪い仲間」、「青葉しげれる」、「相も変らず」等の小説に似ている。」
(つづく)