綴じ込みページ 猫-51

 風邪を引いて、しきりに痰が出る。ティッシュ・ペーパーに吐き出して、ゴミ箱に捨てる。そんな仕草が、吉行淳之介を想いださせる。吉行さんは喘息だったから、終生痰とティッシュから逃れられなかった。
 ところで、これは危険である。ぼくには、感染体質があり、噂をすれば影、でなく、噂をすると自分に招いてしまうところがある。内田百間のときは、年がら年中借金をして、それでもなんとかしのいでゆく百間先生が面白いとおもった。面白いとおもった途端にビンボーになった。ビンボーになってみると、面白くもなんともない。ただ、ひたすら大変なだけである。
 そのときは、事業をしていたから、はじめは儲かって、こんなうまい商売はないとおもった。しばらくすると、ピークがすぎて、損もしないかわりに儲からなくなった。儲からなくても、気楽に食べていけるのは呑気でいいとおもった。しかし、やがて、儲からないどころか持ち出しが多くなった。持ち出しは持ち出しのはずだけれど、帳面上は赤字にならない。赤字にはならないが、自分の通帳が減ってゆく。これは、まさにビンボーというものではあるまいか。百間さんを読んで、面白がっていたら、同じような目に遭わされた。
 同じ頃、吉行淳之介の全集を読み返していた。事業というのは、忙しいときは馬鹿に忙しいが、暇なときは時間が余って困る。それで、吉行さんの全集を第1巻から順に読み直した。吉行さんは、いろんな病気をした人で、痔と水虫以外はほとんど全部やった、といっている。喘息は、若い頃から続いていた。
 齢をとってからの病気に、皮膚疾患がある。吉行さんの「葛飾」という短編を読むと、整体の助手が裸になった吉行さんのからだを見て、あ、皮膚がない、と驚くところがある。吉行さんの皮膚疾患は、なくなるまでついてまわった。
葛飾」は、ぼくの好きな作品集「目玉」に収録されており、全集を読み終わったあとは、「鞄の中身」、「菓子祭」ともども、いつもそばに置いて繰り返し読み返した。読むたびに、皮膚疾患なんかになったらいやだな、とおもった。
 ある日、背中にポツンとした部分を見つけ、何の気なしに掻いてみた。白い芥子粒のようなものが爪についてきた。それはニキビのように見えた。すると、翌日から、そのポツンの痕から、まわりに向ってポツンがひろがりだして、寄り集まったところは梅の花が咲いたようになった。やがて、上半身に梅の花が満開になった。
 元日赤病院皮膚科副部長の佐藤先生は、ぼくの症状を見て、なんだかわかりません、といった。わからないけれども、薬を出しましょう、といって、フランス製のクリームのチューブを出した。あとで、心因性の疾患のようにおもいます、と見解を口にしたが、原因不明だといった。おかげで、完治しないけれど、症状が顔を出しそうなときは、佐藤先生のもとに飛んで行って、薬をもらってくる。
 さて、しばらく忘れていた吉行淳之介だったが、いて丁さんにいただいたカタログをめくるうちに、また、なにか引き寄せてしまったような気がする。喘息でなければよいのだが。