綴じ込みページ 猫-58

 最近、本物のアランセーターを入手した。アイルランド西岸沖に浮かぶ島々(アラン諸島)で編まれた、ヘミングウェイも愛したあのセーターである。
 ぼくの購入したプルオーバー(丸首かぶり)は、ブラックシープとシルバーシープのミックス(ブラック&シルバー)と、生成り(白色)にブラックシープを少量まぜたオートミールという色の2色である。1枚分しか予算がなかったのだが、色をどちらか1枚にしぼりきれなくて、結局、2枚購入してしまった。この手のセーターは、いつなくなってもおかしくないから、手に入る機会は逃してはならない、と自分に言い聞かせた。しばらく、お粥をすすって暮らすようだけど。
 ブラックシープといっても、毛の色は茶色である。だから、1色で編むと、べたっとした重い色になり、柄編みがくっきり際立たない。それで、シルバーシープのグレーを混ぜ込んで、凹凸がはっきりするように工夫しているのである。
 同様に、生成りの白(これは、日本でいうところの元服の晴れ着として若者が着たらしい)は気恥ずかしい、とおもうぼくのような男のために、ちょっとくすんだオートミールという色を考案したのだろう。
 1枚1枚手編みで、もともと家族のために編んでいたものだから、規格というものがなく、寸法はマチマチである。身頃の幅はちょうどよいのに、袖丈が極端に短かったり、長かったりする。袖丈も身幅もいい具合なのに、着丈がなんとも長すぎるなんてのはザラである。そのなかから、自分にぴったりのものをようやく2枚見つけた。こうなると、色ももちろんだが、サイズ的に手放せなくなって当然ではあるまいか。これを逸しては、2度と自分に合うセーターは見つかるまい、と本気でおもった。
 編み込みの柄は、各家庭に固有のものがあり、母から娘に受け継がれた。柄は、いくつかのパターンの組み合わせになっており、ひとつひとつのパターンに意味がある(ハワイアンダンスの手の仕草に意味があるのと同じ)。セーターの柄が、一種の魔除けになっているのだろう。また、漁に出た夫や息子が遭難したとき、どんなに遺体が傷んでいても、着ているセーターで識別できるのだそうで、なんとも哀しい柄だ。
 たまたま、ぼくの2枚は、同じ女性の編んだものだった。タグに作者の名前が入っている。だから、幸運なことに、柄もサイズも同じだった。色違いで同じ柄、というのは、ぼくの趣味に合う。ムリをしたけれど、2枚が離ればなれにならなくてよかった、とおもう。せいぜい、このセーターを着て都会で遭難することのないよう注意しよう。