綴じ込みページ 猫-67

 すこし前なら、と書いた。そのすこし前がいつごろなのか、すでに曖昧である。だいいち、吉行淳之介が「平成元年になって、福武書店から刊行になっている『内田百間全集』が、完結した」と書いているのを引用しながら、「えっ」と吉行ではないが、おもわず声が出た。この『新輯内田百間全集』全33巻が完結したのは、ほんのすこし前だとばっかりおもっていた。


 じつは、一昨日、神田駿河台下の古本屋で、この『新輯内田百間全集』を購入したばかりである。配送してもらうのだが、直接受け取ったほうがよいので、次の土曜日の午後で指定した。平日、留守宅に配送されて、荷物を預かってもらうことになっているお向かいの家に届いたら、たまげるだろう。だいいち、本が33冊入ったダンボール箱を玄関先に置かれたら、どうにも身動きがとれなくなるにちがいない(本は重い。地球よりも)。


 購入するとき、ちょっとした問題が発生した。電話をもらってから全巻点検してみたら、第32巻の「対談集」のコバに汚れがあったというのである。見ると、点々と黒いしみが浮いている。それが山椒の実ほどの大きさである。本文を読むのに支障はないというが、1巻でもキズがあるというのは面白くない。面白くないが、このセットは長いこと売れずにウインドウに飾ってあって、最近、2割ばかり値下げをしたのである。新刊で全巻揃えたときのことを考えるとずいぶん安い。ぼくは、第32巻は捨ててしまおう、と即座におもった。


 ぼくは、10年ほど前の本だとおもって話していたから、どうりで書店の店員さんが無口だったわけだ。しかも、だんだん思い出してきたが、あんなしみは以前にも見たことがあった。ぼくの書棚の箱入りの本だった。あれはゴキブリのフンで染まったしみだ。
 帰宅して、すぐにAmazonで第32巻を探し出し、注文した。同じ中古なのになぜか第32巻だけが、ほかの巻より割高だった。流通している部数がすくないのだろう。弱り目に祟り目とは、このことである。
(つづく)