綴じ込みページ 猫-69

 吉行淳之介内田百間のビラについて書いた文章が見つかった。
 潮出版社から刊行された編年体のエッセイ集シリーズが吉行にはあって、その一冊「甲羅に似せて わが文学生活 1971〜1973」のなかの「前言訂正」という「週刊読書人」に連載されたエッセイに書かれていた。この本は、昭和五十七年九月に発行されている。すこし前なら、どころではない歳月が流れている。が、言い訳ではないが、ぼくが最後に眼にしたのは、ここ数年のはずである。
 以下は、「前言訂正」から。


 故内田百間の飼猫ノラが失踪したとき、百間先生は異常なほど悲歎にくれた。そのときのことを、私はこの連載の初めのころの部分で次のように書いた。


 当時、近所に住んでいた私のところにも、新聞のはさみこみに、ノラを探す紙が入っていたが、紙質粗悪、字の配列の不様さ、その上文章まで悪いもので、その点なにか感じがあるが、あまり異常なので保存してある筈である。

 
 ところが先日、旧作を調べる必要があったとき、当時のことを書いた文章が見つかった。それによって、私は大へんな記憶違いをしていたことが分ったので、その文章を左に書き写す。


 ×月×日
 朝、新聞のあいだから、失踪猫捜索のための折込み広告が出てきた。
 玄関に投げ込まれてある朝刊紙を拾い上げると、いつも私はその折目のところを指先でつまんで、上下左右に揺すぶることにしている。そうすると、新聞のあいだから幾枚もの広告ビラが滑り落ちて、三和土の上に散乱する。
 これをしないで、うっかりそのまま部屋に持ちこむと、困った結果になる。
 私は寝床に仰臥して、朝刊を読む習慣なので、広告ビラが私の顔の上に降りかかってくる。払い除けると、部屋中に紙片が散らばって、朝の気分が毀れてしまう。
(つづく)