綴じ込みページ 猫-70

 吉行淳之介「前言訂正」のつづき。


 その日、三和土に落ちた広告ビラの中に、私に眼にとまった一枚の紙片があった。真白い紙に墨色の活字が並んでおり、朱色の枠でその文面を囲んであった。その枠は毛筆の荒いタッチで描かれてあって、大売出しの広告ビラとは明らかに違う趣が感じられた。
 それは、失踪した薄赤虎ブチの雄猫を探すためのビラであった。走り読みして丸めて捨てるつもりで、私は眼で活字を追った。そのうち気持が変った。
「猫ヲ探ス」という見出し文字につづく、「その猫がゐるかと思ふ見当は麹町界隈」という書出しには、風格が感じられた。以下、簡潔に猫の特徴を挙げ、「猫が無事に戻れば失礼ながら薄謝三千円を呈し度し」と、神経の行き届いた文章で結んであった。
 広告主の住所氏名は記載されておらず、電話番号だけ印刷されてあった。


 要するに、私は蕪雑なビラのあいだから典雅なものを発見して保存する気になったのだ。大へんな相違である。その後、その広告主は百間先生と分り、『ノラや』などという著書も出た。その本を読んで、私は異様な感じを受けた。「これは話がすこし大袈裟ではあるまいか」と共感しかねるところも出て、歳月とともに私の記憶の中で広告ビラの形が変質してしまったようだ。しかし、この記憶違いは訂正しなくてはならない。どんなに取乱したときにも、百間先生はこのような文章を書かれたのである。


 これを読むと、吉行淳之介が読んだ広告ビラが、いちばん最初のビラだったことがわかる。平凡社の「作家の猫」の「内田百間とノラ、クルツ」には、四枚のビラが掲載されている。ぼくが紹介したのは、二番目のビラだった。
(つづく)