綴じ込みページ 猫-73

「涙雨のなか、ノラは帰らず」のつづき。

 
 その一方で彼は、世にも精巧な日記をつけている。日付、曜日につづいて、天候、暖房の有無を欠かさない。失踪の日の「夕方から雨になり夜は大雨」には、大きな意味がある。濡れるのがきらいなノラは、夕方の雨で帰りを躊躇したはずだ。そのあとの大雨が匂いの跡を消し去って、もどるにもどれなくなった――。


 読み巧者の作者は、このあと、名探偵ポアロさながらに、百間先生の創作の秘密に分け入ってゆく。


 日記はまた新聞に出した「迷猫」の広告、近所に配ったビラ、新聞折り込みのチラシの文案が克明に採録されている。終章「ノラに降る村しぐれ」には、失踪からの日数がつけられた。
「九月二十六日木曜日 彼岸明け ノラ183日 残雨 午後又雨・・・」
 涙にくれた男は、その涙のかたわらで、もののみごとに、ノラの失踪と迷宮入りの事件を一巻に仕立てあげた。あわせて「ノラ来簡集」と題し、失踪を知って読者から届いた手紙や葉書を、まるで証人席からの証言のようにして収録している。
 完全犯罪が成就したぐあいなのだ。そのなかで「泣き男」は被害者であり、かつ加害者である。いまやノラにかわって、べつの猫がかたわらにいる。尻尾が短いので、ドイツ語の「短い」にあたるクルツと名づけた。すでにはじまった心変わり、人の心の短さを、それとなく匂わせる。


 ここまで読んだとき、ぼくは内心ドキッとし、鼓動が速くなった。「ノラや」を読んだときに涙を誘われた自分が、なんだか単純におもわれた。


「・・・その横顔の工合なぞどうかするとノラを見てゐる様な気がする。だから私は困る」
 自分へのいいわけをするようにクルツに向かい、ノラにたのまれてお前が代わりに来たのだろう、そうではないか、そんなことはないか、「ないか。うそか。どうだ」と問いただしたところ、クルツはライオンがするように頭を畳につけて、ごろりと横にころがった。
[いけうち おさむ ドイツ文学]


 このエッセイのとなりに、「猫クルツと百鬼園先生と相倚りてお庭の詠めに興ずるの図」とキャプションのつけられた木版画のカットが載っている。縁側の廊下に立って外を眺める百間先生のシルエットと、足もとにちょこんとすわる猫のシルエットが描かれている。木版画は斉藤清。単行本「クルやお前か」の口絵、とある。
(つづく)