綴じ込みページ 猫-74

 九州大学教授でドイツ文学者だった高橋義孝は、百間先生と親交が深かった。高橋氏は、銀座のフジヤ・マツムラの名簿にも名を列ねておられたが、ぼくはお会いしたことはなかった。きっと、その昔、山口瞳先生とお見えになったのだろう。
 先年、といってもずいぶん前、高橋氏のご子息とある会で同席したことがある。当時、すでにそのご子息もご高齢だったが、あとで東京大学工学部名誉教授(建築学)とわかり、よけいな無駄口を叩かなくってよかった、と本当におもった。
 内田百間の「ノラや」に、高橋義孝教授が電話をかけてきたことが書かれている。もっとも、名前は伏せてある。


 夜半を過ぎ、平山が帰つてから間もなく、十二時四十分に某氏から深夜の電話が掛かつて来た。
 家内が電話を受けた。
 向うの云つた事は後で家内から聞いたのだが、家内の返事はその儘聞こえる。
「先生は御機嫌はいかがですか」
「いけませんので」
「猫は戻りましたか」
「いいえ、まだです」
「もう帰つて来ませんよ」
「さうですか」
「殺されて三味線の皮に張られてゐますよ」
「さうですか」
百鬼園ぢぢい、くたばつてしまへ」
 暫らくしてから、
「尤もさう云へば僕だつてさうですけれどね」
 家内が返事をしないので、大分経ってから、「それでは」と云つて向うから電話を切つたと云ふ。
 酔余の電話だらうと思ふ。しかし酔つた上の口からでまかせくらゐ本当のことはない。彼に取つて、家でこんなに心配してゐる猫が帰るか、帰らぬかはどうでもいい。


 山口瞳先生に、「内田百間小論」という随筆がある。そのなかで、高橋義孝産經新聞に連載した「随筆内田百間」について、「けだし、内田百間論は、ここに止めを刺された感がある。高橋先生に百間がわかるのは、頭が少しわるいということを除けば、実によく似ているからである。とてもよく似ている」と書いている。


 百間先生を悲歎させるような電話が、じつは高橋流の慰めの言葉、励ましの言葉であったことは明白である。江戸っ子は、そんなときにも、こういうことをいうのである。
 ところで、「頭が少しわるいということ」については、誤解を解かなくてはならないだろう。
(つづく)