綴じ込みページ 猫-80

 ギコウ氏の「随筆 内田百間」は、佳境にさしかかる。


「百間さんのところへ」云々といっている。そこで先生、怒るまいことか、己には栄造と名がある。それを料理屋の分際で己の号を呼ぶとは何事か、というわけである。
 栄造は「えいぞう」だろうが、先生、「えいぞう」ではあまり曲がないと思われしにや、これを「さかえのみやつこ」とお訓み遊ばす。「みやつこ」は「造」、宮中または地方にあってある部を統轄した世襲の職である。
 内田栄造、うちださかえのみやつこ、上述の如くすぐに腹を立てるお人で、ぶくぶくふくれてふとってはいらっしゃるが、実はあれは涙がからだに一杯つまっているのではないか。飼猫が失踪して、先生は涙に明け暮れなすったが、その御様子があまりばかばかしいので、私が酔って電話で暴言を吐いて先生をからかった。先生はこれを根に持たれたのか、以来百間邸の雅宴にお招き下さらぬ。もっともお歳の所為もあって、人をお招きにはならぬのだろうが。


 あの三味線騒動は、ギコウ氏をして百間邸お出入り禁止の憂き目にあわせたようだ。たかが猫とあなどるなかれ、猫も猫好きもけっこう忘れない。


「大井(先生の愛弟子、近年死去)は死んだが、死んだと云ふ事はよく解らない。木賊は地上の植物の中で最も古いものの一つだそうで、生え始めてから七千万年ぐらい経っていると云う。木賊と大井と比べて見て、どう考えていいのか、わからない。」
 これは随筆集『つはぶきの花』に収められた「とくさの草むら」の最後である。百間邸の庭に生えているその木賊は、死んだ愛弟子の「大井」がかつて持ってきてくれたものである。百間先生の涙、悲しみ、いや人間の死を悼む気持を伝えた古今の絶唱だと私は思うのである。私には、私も同じ一人息子として、先生の執食の癖、涙、浪費の癖、立腹がよくわかるのである。
(つづく)