綴じ込みページ 猫-92

「特別阿房列車」のヒマラヤ山系氏のなぞなぞは、おわかりになったでしょうか。ちょっとした勘違い、というか錯覚がもとになっています。聞いている百間先生の憮然とした面持が眼に浮かびます。


 蕁麻疹を押さえた儘、考えて見たがよく解らない。それよりも、こっちの現実の会計に脚が出ている。この旅行の為に施した錬金術のお金は、勿論そっくり持って来たのだが、みんな無くなって足りなくて、山系が用心の為に持っていたお金を随分遣い込んだ。予算したお金をつかえば脚が出るにきまったものだが、脚が長過ぎる。しかし止むを得ない。いつの間にか東京へ着いて、中央線の電車に乗り換えて、市ヶ谷駅で停まった時左様ならと云って、私だけ降りて、貧相な気持で家へ帰って来た。


 ちくま文庫にして四十ページばかりの「汽車の旅」は、これでおしまいである。しかし、これが評判になって、百間先生はこのあと何度も阿房列車を運転することになる。野良猫を飼って猫可愛がりしていたら失踪され、悲歎に暮れて泣き濡れているところにまた別の野良がきて、べそをかきながらおもわず笑い顔になるような、きまりのわるい喜びを綴った「猫もの」と「阿房列車」は双璧である。


 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。私は五十になった時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。そうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどっちつかずの二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔付きは嫌いである。
ちくま文庫「特別阿房列車」七ページ)