綴じ込みページ 猫-96

 で、「猫の名作文学館 や」から吉行淳之介の「犬が育てた猫」。


 吉行淳之介は、ある日家の裏口に捨てられていた猫を、飼い犬の木箱のなかに入れておく。すると、吉行が飼っていた老犬は子猫をいつくしみ育てる。成長した猫は自分を犬だと思っているらしく、「立居振舞が犬風で、そのくせ根は猫なのだから、不思議な雰囲気になった・・・」。吉行はその猫の「いつものっそりしてペット風のところがなく、鷹揚で食卓の上の食物を狙ったりすることがまったくないところ」が気に入っていたのだが・・・。結末は、猫なのに猫になりきれない猫の悲哀が、ドライな文章からそこはかとなく漂ってくる。


 潮出版社版「犬が育てた猫」のオビを見てみると、「独自の文学空間を形成した 著者の最新随筆集」と大きくある下に、「交遊から身辺雑記はたまた文学に到るまで 芳醇な文章と気品で紡ぎあげた名品の数々」と書かれている。


「ドライな文章」と「芳醇な文章」という表現にちょっとひっかかったが、芳醇な味わいのドライなビール、というものもあるようだし、ま、いいか。


 毛は薄茶色で小型のライオン風・・・、と書いて、また気づいたのは、ライオンは猫科の大物だった。(中略)
 こうやってさかのぼってみれば、十二支になぜ猫年がないかも納得がいく。ネコ科の大物であるトラが入っている以上、重複する必要はない。もっとも、それならなぜ犬のかわりにオオカミを入れないか、と言われると返事に困るが。


 なるほど、ぼくもネコが十二支に入っていない理由がわかる気がした。


 あるとき、ついに食卓の上の魚を盗んだ。
「おまえともあろうものが、なぜそんなことをするのだ」
 と、私は猫に言った。なんともなさけなかった。それから間もなく、その猫はふっと姿を消してしまった。