綴じ込みページ 猫-97

「犬が育てた猫」から、もうすこし。


 多摩川の近くのいまの家に引越すすこし前のことだから、昭和四十年ころだったろう。パトカーと救急車のサイレンが、ウーウーウーという脅迫的な音から、ピーポピーポという音に変った。そのとき困ったのが、家にいた犬である。
 コッカスパニールの雄の老犬で、雌には若いころからあまり興味がなく、やさしいというか頼りないというか、そういう性質であった。唯一の趣味は、パトカーのサイレンに合わせて鳴くことである。夜中にウーウーという音がひびくと、ウーウーと真似して吠える。近所の犬たちも声を合わせるようになって、ウーウーウーの合唱になる。家にいた猫まで一緒になって、かなりそれに近い声で鳴くようになっていた。


 吉行淳之介が、大田区北千束から世田谷区上野毛に転居するのは、昭和四十三年のことである。北千束に住むようになったのは昭和三十四年のことだから、この家に十年住んだことになる。この家は、湿気の多い、ただでさえ喘息持ちの吉行にはからだにわるそうな家だったようだが、そうそう引越せるだけの余裕はなかったのだろう。なにしろカマドを二つ持っていたのだから。
 職業欄に「作家」と書くような、いわゆる自由業者には、きちんとした担保がなければ、銀行はお金を貸してくれない。家を購入して、分割払いなどというのは論外である。だから、家を建てるには、一括で購入できるだけの金額をこしらえなくてはならない。吉行の場合、それに十年かかったということになる。後年、上野毛の家のことについてきかれたとき、金がもっとあれば、部屋の数をもっとふやせたのだが、と答えている。
(つづく)