綴じ込みページ 猫-102

 吉行淳之介「犬が育てた猫」のつづき。


 さて、その雰囲気を具体的に説明しようとして、私の頭は混乱してきた。「あれは、犬のような猫だった、行方不明になって惜しいことをした、ああいう猫だったら、いま飼ってもいいな」とときどき思い出すのだが、「ああいう猫」とはどう説明したらいいか。たとえば、外出して家にだれもいなくなることがある。そのとき猫も外出していると、家の中に入れない。私たちが帰ってきてみると、玄関のドアの前に前足を伸ばして狛犬の形で整然と坐っている。私たちの姿を見ても、歓迎の様子は見せず、ドアを開けるとそのまま入ってゆく。その待っている様子が渋谷駅前のハチ公の銅像のようでもあったので、いままで犬を連想していたが、あらためて考えれば、無愛想なのは猫の特徴だった。


 ミーヤは、ぼくが風呂に入ろうとすると、狛犬の形に坐って、遊ばないの、と目で誘ってくる。いや、風呂に限らず、ちょっとなにか用事をしようとすると、きまって遊びたがる。わたしと用事とどっちが大切なの、と目がいっているようで、これは犬というより女に似ている。
「いまね、パパはお風呂に入ってくるから、ミーヤは待っていてね。ミーヤもお風呂、入るかい。いやだよね。じゃあ、ちょっと行ってくるから、待っててね。よろしくね」
 いつも、そういって、子どもに言い聞かせるようにして風呂に入る。そして、風呂から出て部屋に戻ると、ミーヤがさきほどと同じ恰好で坐っている。お風呂出たら遊ぶよね、と目で問いかけてくる。遊んでるヒマはないのだが、あわててタオルでからだをぬぐって、パンツをはく。ちょっとでもかまってあげないわけにはゆかない。
 ミーヤは、ブラブラしているものに手を伸ばす傾向があるから、裸のままでは危険である。前に、風呂上がりにミーヤの頭を撫でていたら、ひとの股間をじっとみつめていたので、あわてて手で隠したことがあった。あんな鋭い爪でひょいと引っかけられたら、とおもうとゾッとする。
 なんの話だったか。そうだ、うちの猫も犬に似ているところがある、といいたかったのだった。
(つづく)