綴じ込みページ 猫-104

 吉行淳之介の「ミスター・ベンソン」が中途半端になっていた。せっかくだから、片付けておこう。


 寒い国の犬を、四季の変化が大きい湿潤な気候の土地で飼うのは残酷であるが、この犬が生まれたのは日本で、わざわざ輸入したのではない。もっとも、何代か前のこのセントバーナード種をスイスから運んできたわけで、これは謬りだったとおもう。
 この犬を飼いはじめて、初めて雪が降った日、白い地面と舞っている雪片のなかで、四肢を宙に浮かし背をまるめて飛び跳ねている姿をみることができた。古くから伝わっている血が、その犬を掻き立てている、とおもって長いあいだ眺めていた。ところが、そういう姿を見せたのは最初のときだけで、二度目からは雪の積った地面をむしろ前跼みになって、のそのそ歩きまわるだけになった。


 しかし、吉行は、ときどき窓を引き開けて、二三度頭を叩いてやるだけ、といっている。しかも「一ヵ月くらい声をかけないのが普通の状態」と。それでは、なぜこの犬を飼うことにしたのだろう。


 もともと私には、犬を飼う気はなかった。鬱病になって、眼から光と力が消え、寝てばかりいる時期がつづいたとき、同居人がこの犬を手に入れた。犬を引張って散歩でもすれば、気晴らしになる、とおもったそうだ。しかし、それは健康人の考え方で、そういうことをする気が起こるならば、もう病気ではない。
 ただ、この巨大な駄犬という感じが私の気に入った。もっとも、窓ガラス越しに眺めたり、ときどき戸を開けて
「こら、ブー!」
 と、声をかけるだけである。
(つづく)