綴じ込みページ 猫-106

「ミスター・ベンソン」のつづき。


 その瞬間、犬はプールのまわりのコンクリート舗装の上で平たくなり、まるでその面に獅噛みついているようになった。綱を引張ってみても、すこしも動かない。足を踏張って両手で引き綱の端を掴み、力一杯引張ると、一層地面に張付くようになってしまう。
 困った私は、力を抜いてぼんやり佇んでいると、その傍で巨きな犬が全身に力を入れて地面にへばり付いている。このままの形では収拾がつかないので、また綱を引張ってみるが、動かない。そのことを何度か繰返していると、不意に犬は起き上り、早足で歩きはじめた。今度は、引き綱をもっている私が引摺られる形になったのだが、犬は私の家の方向へ歩いてゆく。


 別のページに、「私の家の犬は七十キロくらいで、仔犬のときには片方の眼のまわりだけ黒く、強烈なパンチを受けて痣になっているようで、面白みがあった。しかし、成犬になったときにはその黒い色も消え、全身薄い茶色と白の斑となってしまった。」とある。七十キロの体重でへばり付かれたら、まあ引張ってもびくともしないだろう。


 家のすぐ傍まできたとき、犬は車道のまん中のほうへ移ると足をとめてしばらくそのままの姿勢でいたが、にわかにべったり腹這いになって動かなくなってしまった。自動車が停まり、何台か連なった。綱を引張っても動かないので、私は腕組みして傍に立ち、犬の気の変るのを待った。いまの世の中では、車を運転している人間はどこか苛立つところをもっているものだが、交通を妨げられている車の運転手は、みな笑いながら窓から首を出してその光景を眺めている。路面に獅噛みついている巨きな犬の恰好には、笑いを誘うものがあった。それも、セントバーナード種の備えている犬だったら、こういう愛嬌は感じられなかっただろう。
(つづく)