綴じ込みページ 猫-110

 さて、「ミスター・ベンソン」である。


 音楽家ばかり代々出る家系とか、犯罪者ばかりの家系の図を見たことがある。一見、トーナメント形式のゲームの組合わせに似ている。
 一番上の欄に、現在の犬の正式な名前がタイプで印されていて、『ベンソン・オブ・アニマルセンター』とあった。「アニマルセンター」というところが、いくらか安手の感じだったが、ベンソンとは重々しい名前である。
「ははあ、彼はベンソン氏であったか」
 と私は呟いて、窓を引き開けると、
「ミスター・ベンソン」
 と呼んでみた。犬は窓を引き開ける音だけで立ち上り、尻尾を振って寄ってきた。


 吉行淳之介は、「ベンソン君は、犬齢で五歳になっても、まだ童貞であった」と書く。みてくれは間違いなくセントバーナードに違いないが、その種の特徴を備えていないせいで、雌犬と交尾させてくれる相手がみつからない。といって、そこらの雑種の犬と勝手に交尾するにしては、図体が大きすぎる。「弁慶と小町は馬鹿だなあカカア」という川柳があるが、ま、そういうことである。吉行は、「眼をしょぼしょぼさせて地面に腹這いになっている犬を見るたびに、童貞のまま一生を終わらすのが不憫でならない」とおもう。


 何匹も犬を飼っている友人が、私の気持を酌んで、発情期に入ったセントバーナードの雌を差向けてくれたことがある。眼のまわりに黒い毛がすうっと鼻梁にまでつづいて、細おもての品の良い顔である。ベンソン氏はたちまちこの雌に噛み付いて捻じ伏せようとする。雌犬も抵抗して、喧嘩のようなかたちになった。
 その情景を見ていて、巨大な犬同士の前戯はこういうものか、と私は考えていた。しかし、本気でその雌が気に入らないのだった。結局、友人の好意も実を結ばず、ベンソン氏は童貞のままである。
(つづく)