綴じ込みページ 猫-116

田村隆一とネコ」のつづき。


 明日は正月という昭和五七(一九八二)年の大晦日田村隆一は、ふろしきの代わりに青い布で包んだ鳥籠を持って、鎌倉の、のちの夫人である悦子さんの家に現れた。籠の中にいたのは尾長のタケ。悦子さんの家にはチィという猫がいた。


 田村さんは、やがてこの悦子さんという女性と暮らすことになるのだが、ぼくが田村さんに何度かお会いした昭和五十二年から五十四年にかけてのころは、まだ稲村ケ崎の坂の上の金融公庫で建てたというのがご自慢のお宅にいらした。
 稲村ケ崎のお宅にひとりでお邪魔した矢村海彦君が、田村さんちにお手伝いさんみたいな人がいた、と教えてくれたのは、五十四年の何月だったか。
 絵描きだというその女性は、矢村君が渡したお酒の瓶を、ありがとうござりまする、というような妙な言い方で受取ったといった。
(註:五十三年二月に、田村さんは「書斎の死体」というエッセイ集を河出書房新社から刊行したが、その表紙はベッドに仰向けに横たわり、胸の前で指を組んだ田村さんが描かれていたから、ぼくはその女性があの表紙を描いた画家だと即断した。しかし、いまおもうと、矢村君は、編集者のような、といったような気もする)。
 そのとき、奥様はいらっしゃらなかったようで、矢村君とぼくは、田村夫妻とその女性のあいだで三角関係になっているんじゃないか、と邪推したりした。だから、五十五年はじめに、田村さんが小金井市に転居したというのを仄聞して、ああ、やっぱり、また、田村さんは、新しい女性と逃げちゃったんだ、とてっきりおもった。ところが、事実はてんで違っていたことが、あとからわかった。
(つづく)