号外-6

  ぼくの引用で、谷川俊太郎が誤解されては困るので、岩波文庫版「自選 谷川俊太郎詩集」のなかから(第一詩集「六十億光年の孤独」から詩人自身が選んだ四篇のうちの)つぎの一篇を掲げる。この詩につきうごかされて、ぼくは詩という深い森に迷いこむことになったのだった。
「ネローー愛された小さな犬に」。


   ネロ
   もうじき又夏がやってくる
   お前の舌
   お前の眼
   お前の昼寝姿が
   今はっきりと僕の前によみがえる


   お前はたった二回程夏を知っただけだった
   僕はもう十八回の夏を知っている
   そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
   メゾンラフィットの夏
   淀の夏
   ウィリアムスバーグの夏
   オランの夏
   そして僕は考える
   人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと


   ネロ
   もうじき又夏がやってくる
   しかしそれはお前のいた夏ではない
   又別の夏
   全く別の夏なのだ


   新しい夏がやってくる
   そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
   美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと
    僕を悲しくするようなこと
   そして僕は質問する
   いったい何だろう
   いったい何故だろう
   いったいどうするべきなのだろうと


   ネロ
   お前は死んだ
   誰にも知られないようにひとりで遠くへ行って
   お前の声
   お前の感触
   お前の気持までもが
   今はっきりと僕の前によみがえる


   しかしネロ
   もうじき又夏がやってくる
   新しい無限に広い夏がやってくる
   そして
   僕はやっぱり歩いてゆくだろう
   新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
   春をむかえ 更に新しい夏を期待して
   すべての新しいことを知るために
   そして
   すべての僕の質問に答えるために
                     50.6.5