綴じ込みページ 猫-122

田村隆一とネコ」のつづき。


 六〇歳を過ぎても一日一本ウィスキーを空けた田村隆一。初めて夫人の家を訪れた時も、正月の三が日は友人たちとドンちゃん騒ぎの酒盛りに明け暮れた。しかし一方で、愚痴も人の悪口も言わず、堂々としていて、物欲も名誉欲もなく、礼儀正しい、そんな側面も持っていた。普段は、庭に面した廊下に続く書斎で寝ていることが多く、原稿依頼や催促の電話のベルが鳴ると、仕事をはじめる・・・そんな日々だった。そして大晦日になると、夫人にこう言ったという。
「ああ、今年も暮れたなあ。来年はどうなるかなあ、といつも思うんだ」
 

 晩年、田村は悦子夫人に「俺が死んだら、桜の下に埋めてくれよ」と真面目に頼んだことがあった。平成十年に田村は亡くなり、四十九日を過ぎた頃、あとを追うようにしてネコが死んだ。田村家の桜の下には、タケ、チィ、ネコが眠っている。


 あーあ、新年早々、どうしてこんな文章を引き写さなくてはならないハメに陥ってしまったのか。どうやら、田村さんちの猫を紹介しよう、とおもったのが間違いのもとだった。口直しに、田村隆一のつぎの一文はいかが。


 六日(火) 晴
 詩人吉岡実(ぼくの見るところ、戦後の詩人ではベスト3の一人に入る)とは、会っても詩の話をしなかった。二人とも江戸の下町生れ、いくら東京と云われたって、背中には「江戸」が張りついている。したがって、厩橋近辺や、せいぜい神田神保町あたりの喫茶店のマダムの品定めくらいのものである。
 あるとき、板橋駅近くの彼のアパートに押しかけて、彼と奥さんが飼っているシャム猫の子どもを貰ったことがあった。その時、夫妻が、ぼくの第一詩集『四千の日と夜』を二冊持っているのを発見し、「夫婦だから、一冊あればいいだろう。ついでに、詩集を一冊、ぼくにくれないか」。すると、吉岡さんは、
「ダメ、ダメ、君にあげたら、飲み屋の女の子にやっちゃうから」
 K社の狐姫が神保町で見つけたという昭和三十一年刊行の二七〇円の詩集は、四万円になっているらしい。彼女に立て替えてもらって手に入れたが、東京創元社で千部刷ってくれた詩集にしては、上出来である。事実、一冊も手もとになかったから、こんどは大切にしましょう。
           (「モダン亭日乗ーー日記(未刊行)」より 平成八年二月)