綴じ込みページ 猫-146

 句集「山の夢」には、大木あまり自身の「あとがき」がある。せっかくだから、若き日のあまり先生が、どんなおもいで俳句に対峙していたのかを見ておこう。


 句集のための整理を始めて少しは輝きのあるものをと願っておりましたが、饒舌な句が多く、まだまだ、私にとって俳句は遠いもののような気がいたします。角川源義先生に初めて俳句の御指導を受け、(中略)恵まれた環境にありながら、怠け者の私は進歩もなく今日まで来てしまいました。
 少女の頃、姉がピーター・ブリューゲルの画集を買ってくれました。鋭くて力強いブリューゲルの絵に描かれた人間達は、自然の中で生き生きと見る者に迫って来ます。将来どの方向に進むかきまらない私に、ブリューゲルは大きな影響を与えました。
 絵を志してから何十年かたち、自分の感じたものを表現するのに、絵も、詩も、俳句も、根底にあるものは同じであることを深く感じます。殊に俳句は、私にとって切り離せないものになりました。
 俳句を始めて七年、句集を出すなど夢にも思いませんでした。生涯何も残さないのが私らしいと生きて来ましたが、一年前に病気となり、これからの長い療養生活を考えますと、たとえ貧しい俳句であってもまとめておこうと思いました。(後略)


 一九七九年六月三十日          大木あまり


 明敏な方は、「あれっ」とおもわれたかもしれない。句集「山の夢」が上梓されたのは、一九八〇年六月一日である(註:2014-04-13「綴じ込みページ 猫-137」参照)。「あとがき」が書かれてから、優に一年経っている。一冊の句集を世に出すのは、なかなか大変なことだったのだろう。