綴じ込みページ 猫-152

 爪を切られたのが気に入らない、とミーヤはいいはしなかった。しかし、あきらかに腹を立てた様子で、朝、ぼくの胸にのっかってこなくなった。


 しばらくぶりで、シャツ職人の市川さんに会った。市川さんは元気で、会わないうちに白内障の手術をすませていた。片方だけやるつもりでいたら、手術がはじまってから、とつぜん医師が、ついでだからもう一方もやってしまおう、といった。「おかげで、両方とも好調です。よく見えるようになって。ミシン目なんかも」


 目がよく見えるようになったせいで、ヘタクソにならなければいいな、とぼくはおもった。


 それでね、こないだ、友だちが泊まりにきたんですけど、食事から戻って二階の部屋にあがったら猫がいたんです。となりの家の猫でね、よくあいだの塀の上で寝てるんですけど、でかけた隙にどっかから入っていたんですね。あわてて追い出したんですが、壁で爪を研いだもんだから、壁紙が白く剥け落ちて、コンクリの地肌がむき出しになって、弱りました。おまけにベッドの布団のまん中におしっこされて。猫のおしっこって、あんなに黄色いのね。うん、つんつん匂いましたよ。


 翌日、またその猫がいたんです。友だちが追い出したはずなんで、出さなかったのかってきいたら、一階のドアから出て行った、ていうんです。また追い出して、もういいだろうとおもったら、また入ってきたんです。三日続けて。おかしいな、とおもってよく見たら、一階のアトリエの窓、ほら斜めにガラスが開く窓があるでしょ、あれがほんのすこし開いてたんです。空気の入れ替えにすこしだけ開けたのを忘れたんですね。そこから猫がもぐりこんできたわけでしょう。閉めたつもりでいたから、すっかりしてやられました。また、おしっこされるし。


 あのさ、市川さん、花王にニャンとも清潔トイレという猫用のトイレがあるのね。それを買って置いておいたら。そうすれば、いつ入られても、心配ないでしょ。そうやって入ってくるんだから、敵もきらいじゃないとおもうよ。


 うーん、犬だったらね。犬は飼ったことあるんですよ、いうことがなんでもわかるし。わたしがいじめられると、ウウーッて唸って守ってくれてね。可愛かったです。戦時中でしたから、こんな時勢に犬なんて飼いやがって、といって叔父が捨てに行ったんです、多摩川に。青山から多摩川までね。それがね、帰ってきたんです、歩いて。犬なんて、えらいもんですね。そうしたら、また叔父が捨てに行くっていったんですけど、親父がね、せっかく戻ってきたものを捨てることはない、飼ってやればいい、といってくれましてね。もう、叔父もなにもいえなくて、飼うことができました、短いあいだでしたが。


 今朝、目覚めたら、ミーヤがぼくの胸にのっていた。顔にお尻を向けて。