綴じ込みページ 猫-167

 小西甚一著「国文法ちかみち」のオマケ部分「〈余論〉表記法のはなし」は、四つの章に分かれている。
(一)古代特殊仮名づかい 
(二)歴史的仮名づかい 
(三)現代仮名づかい 
(四)送り仮名の使いかた


 ここで特に大事だとおもわれるのは、(二)の「歴史的仮名づかい」である。小西は、まず川端康成の文章を引用するところからはじめる。


 死ぬ前のドガは盲であつたが、指先の手ざはりだけで、あの踊り子の彫刻をつくつた。ドガの冷たい絵にも、言ひ知れぬ哀愁と憂愁とはただよつてゐる。しかし日本人の荷風氏らのそれとはちがふ。荷風氏は日本の詩人であつたために救はれ恵まれたところもあつたが、すぐれた天稟の奥深くまでは掘り切れなかつたところもあつただらうと、私には思はれる。


 これは、川端康成の『遠く仰いで来た大詩人』(「中央公論」昭和三十四年七月号)という文章からぬき出したものである。(中略)この仮名づかいが、諸君のふつう使っているものと違うことは、すぐおわかりだろう。これが、歴史的かなづかいである。
 歴史的仮名づかいとは、何だか変な名まえで、わたくしは「契沖仮名づかい」とよぶのが適切だと思う。なぜなら、歴史的というが、古い時代の仮名づかいはいろいろであって、右の例文にあげたようなものばかりではなかった。鎌倉時代には、定家仮名づかいがおこなわれていた。平安時代中期までは、発音と表記とが一致していたようで、混乱はないが、平安時代後期から、かなり著しい発音の変化がおこったらしく、それに伴って仮名づかいが怪しくなってきた。そこで、藤原定家が正しいと考えられる仮名づかいを決め、友人の源親行および親行の孫である行阿がそれを増補した。この仮名づかいが、江戸時代初期までは歌人や知識人たちによって支持されていた。ところが、


 中途半端だが、なんだか長くなりそうだから、あとは次回に。
(つづく)