綴じ込みページ 猫-177

 石川淳五十音図について」のつづき。


 この月報の狭い場所では、わたしはかなづかいひについて仔細に説くことができない。ただ一言いつておく。新カナがいけないといふのは、なによりもそれが不便だからである。新カナに依れば、すなはち五十音図に反すれば、日本語には母音といふものがありえない。ことばはタテヨコに通用するどころか、タテにすら通用しない。すなはち、動詞は活用しない。どこの国に、そういふバカなことばがあるか。日本政府がなによりもありがたいといふアメリカにすら、ことばには母音があり、動詞は変化してゐるではないか。もし学を好むアメリカ人がゐて、日本語をまなぶとすれば、かならずや新カナでは不便でこまるだらう。
 ところで、新カナ派にとつて、一見あたかも好都合であるかのやうなことを、宣長がいつてゐる。
(つづく)