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前回のつづき。
遺族の方ばかりでなく、不肖の弟子の私とても、生前の師を思えば、旧漢字、旧仮名づかいを守り抜きたい気持である。しかし、戦後の漢字、仮名づかいの変遷は急速であって、それに馴れた青少年の人たちにも、できるだけ多く百間独特の名作に接していただきたいのである。
私は、百間の名文はもちろん、錬金術、酒豪さえ受け継ぐことができなかった。それゆえ師を越えることができるのは、八十三歳まで生きることしかない。
幸いにして、霊界で師にお目にかかることを得れば、まず新漢字、新仮名づかいに勝手になおしたことをお詫びし、ひたすらお許しを乞うつもりである。
一九九〇年一〇月 中村武志
(ユダは銀何枚でイエスを売ったのだったっけ)
旧漢字、旧仮名使いを、新漢字、新仮名づかいに表記がえするということは、ウイスキーを水で、あるいは炭酸で割るようなものである。ストレートの味わいを知ったうえで、水で割ったり、ソーダで割ったりするのはわるいことではない。しかし、はじめてウイスキーを飲む人には、まず、ストレートで飲ませるべきである。スピリットの正しい意味を知るだろう。
(つづく)