綴じ込みページ 猫-184

 三歳のときから三十年間、川崎市に住んでいた。世田谷区と多摩川を挟んだ向かいのあたりで、むかしは、うちの前の府中県道の向こう側は田んぼと畑と原っぱしかなくて、田園調布のある多摩丘陵が一望に見渡せた。丸子橋の花火なども、仕掛け花火まで、家の前からよく見えた。
 

 やがて、近くに青果市場ができて、花火は空に上ったものしか見えなくなった。仕掛けのナイヤガラがはじまったことは、市場の屋根の輪郭が明るく浮き上がることで、なんとなくわかった。
 

 三十三のとき、結婚して家を出た。そのころも、相変わらず、家の前は田んぼと畑のままだった。二年後に両親も引っ越したので、以後、二度と訪れることはなかった。
 

 グーグルにストリートビューという便利なものがある。住所で検索すると、居ながらにしてその周辺の光景が見られる。もっとも、ほぼ一年前の景色だが。


 うちの二軒先に応用化学の工場があった。同級生の吉田君の家である。吉田くんちには、黒猫がいた。メスでクロと呼ばれていた。片側のお腹のあたりに大きな火傷の痕があった。化学薬品(塩酸とか硫酸)の大きなビンが敷地のなかに積み重ねてあって、そのあたりを散歩していてなにかの拍子にビンが割れ、なかの液体をかぶったのだろう。そこだけ毛がなくて薄い皮膚が見えていた。


 実家のあったあたりをストリートビューで眺めて、すっかりかわってしまったのには驚かされた。実家のあとは、ファミリーレストランになっていた。二軒先を見てみると、そこもファミリーレストランになっていた。吉田君のことではなく、クロはあれからどうしたんだったっけ、とおもった途端に目が覚めた。