号外 オー・マイ・ブッダ 2

イスラムごっこ」から最後通牒がきた。なかなか狡猾である。今回の問題は、水のなかに飛び込んで濡れずに出てくるような、不条理きわまりない命題といえる


 テロ実行犯Aの身柄と引き換えに、ヨルダン政府が望むパイロットBとの交換でなく、第3国のジャーナリストCを返してやる。返事がおくれれば、もちろんCを殺害するが、その前に、みせしめにBも殺すぞ、というものである。


 これまで、テロに対して一貫して強行姿勢を貫いてきたヨルダン政府に、一気にしっぺ返しをしようと企んでいる。なぜなら、ヨルダン政府にとっては、どの答えを選択しても、結局はババをつかむようにできているからである。


 Cと引き換えにAを開放すれば、BもCも助かるが、ヨルダンという国家がテロに屈服することになる。テロに関して共闘してきた米欧との関係が、微妙に変化するだろう。さらに、決定のタイミング次第ではBが殺害され、Cが生還することになり、ヨルダン国内で非難が上がることは必至であり、しかも国を上げて対日感情が最悪になること請け合いである。


 もし、ぼくがCなら、ぼくはヨルダン政府にも日本政府にも、一切の交渉を断ってもらいたい、とおもうだろう。テロリストとは、交渉しない。これが大原則だ。しかし、脅迫されて、心ならずも相手のいいなりに発言させられることはあるかもしれない。だれだって、すぐに殺されないで済むなら、そうするにちがいない。死んでもいい、という覚悟と、もし助かるなら死にたくない、というおもいの狭間で、気持はちぢに乱れるだろう。


 最高の結果は、時間切れである。BもCも殺される。しかし、Aは開放しない。BにもCにも気の毒だが、使命感から出発した帰結である。だれを恨むことがあるだろう。
イスラム国もどき」は、結局、今回の作戦で、貴重な交渉材料のBを失い、遥かな国遠い国、自分からは石も投げない日本の強い反感を買うことになる。壊滅させるために、日本はお金出すよー、今まで以上に。年金削って、税金ふやせば、簡単にまかなえるんだから。I am E.T.


 以上は、1月28日(水)に一旦「ギンザ プラスワン」に載せた文章である。しかし、当事者の生存が確認されているあいだは不謹慎だと思い直し、すぐに取り下げた。これを書いているのは、2月1日(日)朝の5時半である。毎月、月のはじめに家内の墓参りに出かける。それで、いつもの時間に起きてテレビをつけたら、緊急速報でCさん殺害を報じていた。すぐにYou Tubeを確認したところ、Cさんを処刑する場面が公開されていた。


 ぼくらは、けっして動揺してはいけない。それこそ「イスラム国なんちゃって」の思う壺である。こういうときこそ、粛々という言葉を使いたい。粛々として故人を悼み、弔う。
 もしかすると、狡猾なテロリストたちは、Bを生かしておいたかもしれない。だとしても、ぼくらは、ヨルダンという国を恨んではならない。もともとひとの褌でとろうとした相撲じゃないか。毅然とした態度は、いまこそ必要なのである。


イスラム国気取り」の今回の作戦は、ヨルダン政府を弱体化させ、日本国との友好を解消させるところにあったはずである。しかも、あわよくば巨額の身代金を奪取するつもりもあった。今回の交渉不成立は、仲介した部族や国家の力不足が原因である、とぼくはおもう。結果として、なんとかうまい具合に軟着陸できたのではないか、日本国は。


 このあと、なんとなく一息つけた日本がやるべきことの第一は、テロ組織に対する報復ではない。それは、中東各国への徹底した支援である。生命が尊いのは、一瞬のものだからだ。「殺すな!」