綴じ込みページ 猫-188

 毎月一回、句会に出る。もう七年続いている。
 いろんな人の句集をずいぶん読んだが、気になる俳人というのは存外すくない。もっとも、これは小説家の場合も同じで、理由がぼくにあることは十分承知している。
 

 古典、名作、傑作といっても、味覚といっしょで、どんな高級店の名のあるシェフの料理でも、ぼくの舌に合わなければなんにもならない。べつにぼくの舌が格別上等というわけではない。むしろ、その逆で、だれしも食物に好き嫌いがあるように、ぼくの場合はその許容範囲がきわめて狭いから、うまく味わえないのかもしれない。


 眼高手低、という言葉がある。まさしくぼくのためにあるような言葉で、日暮れて道遠し、ひたすら精進しなくては、と気持はあせるけれど、どうにも足がついてこない。こんな筈ではなかったのだが、と句会のあと、帰宅して熱い湯につかりながら、いつも悔し涙を流しているのである。しかも、ぼくの持ち寄る句のうち、猫の占める割合がけっこう多いせいか、ははん、これは飛行船だな、じゃあ無視しよう、といったABC包囲網のようなものが出来ていて、成績の上がらないこと白夜の太陽のごとし。
 

 しかし、しかしですね、諸氏各位、和猫の寿命は長く、俳句は短し(ま、五七五だからね)。猫の句で句集をこしらえて、ミーヤにデェディケイトしようとおもいます。


 でもって、(例によって成績の芳しくない)昨夜の句はつぎのごとし。


    水温むキューバへ渡るパスポート 飛行船
    青丹よし奈良の陀々堂鬼はしり  同
    春昼や細きは猫の瞳なり     同
    寝台に麻酔さめゆく余寒かな   同
    眠る猫眺めてをれば長閑なり   同
    旅券手に船のデッキの余寒かな  同