綴じ込みページ 猫-190

 ぼくは、いま、書店に行っても俳句か詩のコーナーしかのぞかないから、その本が目に入ったのはまったくの偶然だった。いや、偶然には違いないけれど、ぼくは必然だとおもっている。神様が眼につくようにしむけてくださったのである。いつも、そうだから。


祇園豆爾 ちょっと昔の祇園町」(祇をん 新井豆爾著・朝日新聞出版刊)


 オビに写真が載っている。最後にお会いしてから十八年後のお顔は、なくなられたお母様に似てこられたようである。もっとも、お母様は、当時、もうずっとお年を召していらして、しわくちゃばあさんだった。洋品店の、丁稚に毛が生えたくらいのころから、いっぱしの番頭面ができるようになるまで、ずっとご贔屓いただいた。ぼくが店長になるはずの、まさにその日に店は廃業してしまい、ご恩返しができなくなった。


 祇園花見小路南側の置屋さんで、ぼくが外商にうかがうと、豆爾様が奥に声をかけられる。
「おかあさん。おかあさんの好きな人、来やはったで」
 すると、細い目をもっと細くして、粋なおばあさんが、奥から泳ぐようにして飛んでこられるのである。商売人として、こんな幸福なことはない。


 しかし、ぼくの顧客は豆爾様だった。お母様とお姉様もむろん顧客だったが、なんというか、メインは豆爾様だったのだ。ミックスフライのメインが、結局は海老であるように。
 ぼくは、よけいなことはいっさいきかないから、新井様のおうちのなかのことはなにも知らなかった。こんど、この本を読んで、舞妓、芸妓、置屋の関係や祇園という町について、それからいつもニコニコされていた豆爾様のことがはじめてわかったような気がした。