綴じ込みページ 猫-192

 ぼくが物心ついたときには、母はもう痩せたおばあさんだった。ぼくは、母が三十四歳のときの子どもだから、小学校入学のときにはすでに四十歳で、中学二年では五十歳ちかかったことになる。
 

 その中学二年の夏休みに、(夏休みは陸上部は本当は休部なのだが)午後から有志だけの練習に行き、その日にかぎって多摩川の土手を遠くまで走ったので、もどったときにはずいぶん暗くなっていた。校内で待っていた顧問が、ぼくの顔を見るなり、「おい。さっき、おばあさんが迎えに来たぞ」といった。ぼくは、むっとして、母です、と答えた。


 映画「小さいおうち」がぼくの頭に棲みついているのは、べつに母が昔、女中という職業を経験しているからではない。だいいち、ぼくが記憶しているのは、鎌倉の長谷にあった上智大学教授の邸宅に、三人が奉公していたということと、その三人が写っている盆踊りの写真を見たことだけだ。ぼくが小さいころ、奉公仲間のどちらかと手紙のやり取りをしていたようだが、よく憶えていない。


 深川に住んでいた母の友だちが、終戦間際に下町一帯を襲った東京大空襲に遭い、逃げ場を失って川に飛び込んだのだが、川面にも火が走った。あわてて岸に這い上がろうとしたが、逃げ惑う人々に手を踏んづけられて上がることができなかった。
 熱いから水に潜っても、すぐに苦しくなって水面に顔をだす。熱くてまた潜り、苦しくて顔を上げる。それを繰り返して、一命はとりとめたけれど顔に大やけどを負ってしまった。
 その友だちが、戦後は家から一歩も出ずに、ひっそりと着物の仕立てをして暮らしている、と母がいったことがある。女中三人組のひとりだろうか。
「すごい美人だったのよ。美人すぎて縁遠くて独身だったの。会いたいけど、本人が、どうか来ないでっていうの」


 気持を整理するために、直木賞を受賞した原作本「小さいおうち」を購入した。
(つづく)