綴じ込みページ 猫-196

 ぼくが定年を迎えたとき、セピア色のインクで書かれたはがきが届いた。私的な事柄だから書かないつもりでいたが、よく考えたらぼくの書くものはいつだって極私的なことばかりである。久しぶりにその先生にお会いして、ふたまわり近く年下の画家が、ぼくなんかよりよっぽど円熟しているのを見ておかしかった。どうしてぼくは、いつまでもガキなんだろう。いただいたはがきと、ぼくの返信を並べてみれば、どちらが年上かわからない。ともあれ、人生の一断面というのは、こういうところに潜んでいるのではあるまいか。


我が家の庭も秋が日に日に深まっております。社報で定年を迎えられたことを知りました。月日がたつのは本当に早いなあと、社報の挨拶を読みながら、数々の苦労をされていたことを思い出しました。お疲れさまでした。テキストの作成から始まり、自著の広告まで本当にお世話になりました。まだ社に残るようなので、顔を見る機会があるでしょうから、ひとまずほっとし、お礼を直接いいたく思っています。


拝復
晩秋の候、先生にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、このたびは、ねぎらいの温かいお言葉を賜りまして、有難うございます。
7年前、はじめて帝国ホテルでお目にかかったときのことを、いまでもはっきりと覚えております。先生は、いまとすこしも変わらず、自然体で普通にワインを飲んでおられましたが、その横顔には、人見知り、というか、はにかみが感じられました。先生をご紹介くださった企画担当役員の印象と好対照でした。
先生にお目にかかりましたときから、すでに私はジジイでしたから、いっしょにお仕事をさせていただくにあたり、さぞご厄介だったこととお察しいたします。私が先生のお立場でしたら、やはり、やりづらいなあ、と感じたとおもいます。
広告担当になりましてからは、外部の会社との交渉に比重が移りましたので、社内ではもっぱら目立たぬように、騒がぬように過ごしてまいりました。それでも、理不尽なことをいう取引先の広告代理店とは、きちんとケンカして(中堅の会社でしたが)ほぼ解体のきっかけをつくったりしました。テキスト作成のとき、まかせていた外部編集者を処分したことがありましたが、あの悪夢の再来です。
そのとき、有難かったのは、取締役が全面的にバックアップしてくれたことです。編集長も、出版部長も、私に肩入れしてくれました。道理がこちらにあったとしても、会社という組織のなかでは、通用しないのが普通です。あいつ、なに青くさいこといってんだよ、といわれて、孤立するのが関の山です。しかし、一枚の繪は私を守ってくれました。
あっという間の7年間でしたが、20年分くらいの中身が詰まっています。さいわい、嘱託で置いていただけることになりましたから、幾分かでも恩返しができればと願っております。どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。
時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。
                                 敬具