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 昭和五十二年七月十八日に、ぼくはフジヤ・マツムラに入社した。アルバイトでもよかったのだが、正社員だった。


 九月に、大阪に出張することになった。なんば高島屋で開催される大きな催事の準備のために、ほかの社員より一週間早く現地に入って、タクシーで挨拶回りをするのである。個人タクシーで毎朝九時にホテルを出発し、夕方六時ころまで名簿を頼りに顧客のお宅に案内状を届けてまわった。
 

 奈良は、大阪支店の店長がバイクでまわってくれた。家が近かったからである。その他の地域は、大阪全域どころか、京都、和歌山までぼくがまわらなければならなかった。京都と和歌山は、現地まで電車で行って、そこでタクシーをチャーターした。


 なんば高島屋の催事は、一週間である。このとき、あとから会期に合わせて出張してきたのは、社長、店長、次長、経理の女子社員、それにカミサン(そのときはつき合っていなかったが)の五名だった。銀座の店には、(店長より上の)部長と、男性二名、女性三名が残っていた(いまおもうと、あんな狭い店(十五坪足らず)のなかによくも十名の社員が居並んでいたものである)。


 一日が終わってなんば高島屋の通用口を出ると、いつのまにか店長と次長が消えている。このふたりは、ホモホモコンビと他店のひとから噂されるような怪しい雰囲気をもっていた。
 それから、社長と女子事務員が、ホテルに戻って本日分の売上の付合せをするから、といって別れてゆく。後年、こちらのふたりも関係がこじれて、怪しかったことがわかった。


 これで、残されたのは、(まだそのときはつき合っていない)ただの同僚であるところのカミサンと、ぼくだった。
 ぼくは、やれやれ、とわざと口に出していってから、どこでメシ食おうか、ときいた。
「だめなの。きょうは、羽衣にいる姉のところに行く約束なの。臨月で、きょうあしたにでも赤ちゃんがうまれるの」
 結局、残されたのは、ぼくだけだった。
(つづく)