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 航空機が群馬の山中に墜落してから三十年が経った。
 この年の秋、正確には十月二十七日、ぼくの父がなくなった。享年六十二。この日は、ぼくの三十六回目の誕生日だった。


 葬儀は、友人の従兄、俊夫さんの寺で営んだ。川崎駅前の繁華街のなかにある浄土宗の寺である。
 実家の菩提寺は、栃木の鹿沼にある。曹洞宗の寺で、松尾芭蕉が「入あひのかねもきこえずはるのくれ」と句に詠んだ寺である。そこから実家の川崎まで葬式にきてもらうわけにはいかないので、宗旨は違うけれど、面倒なことはいいっこなしでお願いした。


 しばらくして、その寺のおじいさん(先代のご住職)がなくなった。以前から一病あった方だが、年をとって病気の進行がとまってしまった、と笑われていた。だから、病気でなくて寿命である。
 

 ひと月もしないうちに、こんどは俊夫さんの奥様がなくなった。おじいさんと同じ病だったが、こちらは若かったため進行が速かった。俊夫さんは虚空をにらんで、無念の表情をした。


 十年前、俊夫さんの訃報がとどいた。寺からの広報である。ぼくの父の葬儀を営んでから、ずっと案内が送られてくる。俊夫さんがなんでなくなったのか、友人と疎遠になって詳しいことはきけなかった。


 去年、俊夫さんの下の息子、兄をたすけていた副住職がなくなった。これも寺からの広報で知った。死因にはふれていないが、まだ四十代のはずである。


 今年、住職の訃報がとどいた。また、広報である。俊夫さんの上の息子は、ぼくの父の葬式のとき、まだ大学に入ったばかりだったから、ようやく五十歳といったところだろう。跡継ぎのことは、広報に書いてない。
 

 三十年のあいだに、ひとつの家族が絶滅してしまったことになる。しかし、これはべつに特別のことではない。ぼくだって、威張ることはないが、ひとつの脈絡の最後のひとりなのだから。