綴じ込みページ 猫-235

 最初の句会で詠んだ妻の頭が慈姑のようだったのは、放射線のせいである。いや、放射線を照射するために刈り込んだからである。


 妻は、句会がはじまって二年目に、再発したガンがもとでなくなった。当時、句会では、戯れに、よく妻を句に詠んでいたので、「愛妻句の飛行船」と冷やかし混じりに呼ばれたりした。
 ぼくは、いまだに、妻のことをおもうと、突然、過呼吸の症状が出て息ができなくなるので、彼女はずっと外国旅行をしていることにして、深く考えないように気をつけている。写真もじっとみつめない。仏壇にお茶を上げるとき、ちょこっと見る。忌野清志郎の創訳した歌詞に、「いまは彼女、写真のなかで、優しい眼でぼくに微笑む」というのがあるが、ま、そういった按配である。むこうは、ずっとぼくを見ている。


 妻をなくした翌年の春、齢をくって貰い手のない猫をもらった。すでに四歳になっており、子猫を好む里親希望者には見向きもされなかったようだ。それがさいわいして、一人暮らしの老人には譲渡しない、という暗黙のルールをかいくぐって、猫はぼくのもとにやってきた。二月十九日のことである。そして、翌月、東日本大震災が起こる。
(つづく)