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 高柳重信の「大政奉還の説・再説」を見てみよう。西東三鬼の憤懣とやりきれなさは、ぼくの俳句の先生にも、相通ずるものがあるようにおもう。


 もう随分としばらく前に、いまは亡き西東三鬼が、いわゆる大政奉還の説というものを発表したことがあった。しかし、この説は、如何にも三鬼らしい外観の奇抜さと、表面の見せかけの俗臭のために、俳壇からは、ほとんど笑殺、黙殺の憂き目にあってしまった。


 三鬼みずからが、その真意を巧みに韜晦したまま、もうこれからの俳句は、あまり複雑で面倒な表現に工夫をこらすのはやめにして、誰にでもすぐに理解できる平易な表現に立ちかえり、いわゆる専門家の手から俳句大衆の手へ、この際、俳句を返還しようではないか、という、きわめて平凡で世俗的な発言としてのみ、俳壇に流通し、したがって、そのために、たちまち消滅しなければならないむなしい運命を招いてしまった。
 

 しかしながら、直接に三鬼から聞き出した感想などを基礎に、僕がくみたてた推測によれば、この大政奉還の説は、単にそのような他愛のないものではなかったようである。むしろ、その真意は、もっと悲痛な怒りを胸の中に沈めた、いわば彼の俳句および俳壇に対する絶望的な逆説であったらしく、三鬼の胸中に久しく鬱積していたものは、次第に俳壇に浸透してきた微温的な共存共栄の雰囲気と、そこで醸される社交的で無差別な並列がまかりとおる、ある意味で理不尽な風潮に対する、作家としての激しい憤懣であったろう。それは、すぐれた作品と凡庸な作品についての、その都度のはっきりした弁別を、俳壇がふたたび回復することの強い要望であり、それはまた、すぐれた作品のいくつかを遂に書き得ることが出来た作家と、そうでない作家とを、あらゆる面で明瞭に峻別することの切実な要求でもあった。


 思うに、ある作品とある作品との、明らかな優劣が、全くないがしろにされ、愚かしい多数決が大手をふってまかりとおっているような俳壇では、いわゆる専門家などというもの自体が、すでに笑止な存在なのである。作品は言うまでもなく、微妙な細部から成り立っているにもかかわらず、その細部について、十分な感受力や批判力を発揮することが、はじめからほとんど出来ないような凡庸な人たちまでもが、臆面もなく、いたずらに指導的な発言をくりかえそうとし、そのため、もし、いささかなりとも有名になどなれば、たちまち、一人前の専門家になったようなつもりでいる。これは、常に、身体をはって、俳句に対する自分なりの責任を果そうと念願してきた三鬼の、数少ない真の専門家としての自負心にとって、とうてい耐えがたいことであったにちがいない。
(つづく)